我仮説を立てず(ヒポテセス・ノン・フィンゴ)と言った哲学者(ニュートン)が居たかと思いますが、地頭を得るためには高みの見物を辞めて、たとえ仮説の、身を切るようなリスクがあろうと、どちらかに寄り添う観点で行動や思考をしてみて、その結果得られる情報の'色'を見定めていかねばなりません。そう。信じる、という帰納が必要になるのです。
ニュートンが帰納したはずの物理を、あなたは信じなくてもいいのです。師ブルース・リーが友よ水になれと言ってきても、イヤです!と断ってもいいように。
ニュートンにとって帰納したはず!の物理を信じなかったあなたは、ニュートンからしてみれば信じられないアホかバカですが、あなたはニュートンやニュートン信者からそう思われる多大なリスクを負いつつも、別の、彼らの手垢にまみれていない、大きな大きな宇宙空間を手にすることができます。そしてそれは、あなたのアイデンティティーの助けとなり、さらにいえばそれは、意外とニュートンの観る世の真理と違わないもので有り得ます。
ニュートンは真理を見て物理を唱えたのであり、あなたは真理を見て物理を唱えなかっただけの違いなのだということです。
これまでの人生、あなたの身体はいつでもあなたがコントロールできるものでしたか?思いの外うまく動かせたことも、思い通りには動かせなかったこともあるのではないですか?
あなたがその筋肉注射をして、健康や社会正義のために誰かの真似をしたつもりでも、あなたの身体はあなたの思惑と違う反応を示すかもしれません。その確率は、あなたがこれまであなたの身体をコントロールできなかった確率と、たぶん同じになるでしょう。
つまり、全体の接種者のうち何人が良からぬ反応を示したからといって、その確率を自身の確率に当てはめるのは間違っているのです。
あなたの命はたとえ百あっても、あなたが死んでしまえばいっきにゼロになります。あなたが未知の薬剤に苦しめられる確率は、これまでのあなたの、身体の可動確率と等しいのであって、他者を、高みの見物をして得られる情報の確率とは等しくなりません。
筋肉注射を勧めてくる製薬会社、テレビ新聞、医者その他の者たちは、あなたにとって、ニュートンレベルにもっともらしいことを言っているひとたちのように思えているかもしれません。
しかし彼らは絶対に、あなたの歴史を知りません。あなたが思い通りに生きてきたかどうかの確率を知りません。わたしもあなたのそれを知りません。それを知るのは、この世の中にあなたしか居ないのです。もしそれに肉迫できるとしたらそれは、あなたの配偶者のみで、婚姻していなければそれすら有り得ません。
地頭もって生きましょう。
たとえあなたが殺人鬼の思考をしたところで犯行に及ばなければわしはあなたをも信じますし、たとえあなたが聖者の思考をしたところで犯行に及べばわしはあなたを信じません。
ヒポテセス・ノン・フィンゴ。
万有引力を信じる前に、我仮説を立てず、と呟いてみてください。
万有引力の法則を世界初で発見するのは、あなたかもしれないのです。
🌆🌉…。
昨夜はとうとう夜が明けてから職場を去ることになりました。
わしも含む色んなひとたちが、いつもならやらないような思い込みをやってしまい、やたらと作業時間がのびてしまったのです。これは、昨日で実質退社されたひとりの同僚を名残惜しむ気持ちがそうさせたのだと、わしはおもいます。
昨今では送別会も気楽にひらけませんからね。わしもなかなか、幹事やれるほど裁判離婚からメンタル回復できちゃいません。
わしは若い頃に一度だけ、飲み会の幹事をやったことがあります。人は一応集まりましたが少なく、あまりのカリスマ性の無さに、その手の仕事はわしには向いていないなと、つくづく思いました(苦笑)。
さて、ブログタイトルの内容を綴りますが、なんだか冒頭で気高めな文章が綴れてしまったので、本題のほうが薄い話になりそうだなとちょっと気弱になりますが、いいや大事な話だぞっと!気を持ち直して行きましょう。
タイトルコピペしますと。
別モノだとあなただけでなく誰もが分かるよう、違和感をわざと明示・表現するテクニックを身に着けて!
これです。
昨日作業時間を間延びさせてしまった'犯人'は、わたし(わし)、わたしとおなじ二年生の女性、十年以上のベテラン男性の3人でした。細かく言うとまだ何人かいますが、主にはその3人。職場バレしないようには書くつもりです。
先ずことの発端は、ベテランがいつもはあまりしない行動をとったがために手を汚してしまい、その汚れの問題の重大さに気づかなかったがゆえに、汚れが伝播し、女性が汚れの伝播していない製品を集めたつもりが全然、いくつも汚れは製品についており、その汚れた製品がさも汚れていない製品かのようにして誰かにパッケージングされてはならないぞと、わたしが目の良さを自負してその女性の集めた製品をさらに検品して、汚れのあるものは弾き、汚れのない製品のみを工程に放つということを通常業務に組み込んでやりました。
↑まさに悪文ですね。「。」の挟まる余地がない。
先ず第一にベテランが汚れに気づいた段階でその汚れを徹底的に落とすべきでしたし、責任者にも報告すべきでした。
第二に女性とわたしはいつもより多い汚れに異常事態だと認識し、汚れが疑える製品は通常業務のカタチとは違う容器に入れるとか、違う入れ方をするなどすべきでしたし、責任者にも報告すべきでした。
その日はほかのトラブルも多々発生しており、遅れを取り戻したい!という気持ちがあったんではないかな、という側面も否定できませんが、わし(わたしからわしに戻った)がここで特に言いたいのは、↑の赤字部分です。
いつもの作業、通常業務。
これは現場の者にとっては、どの物体をどのように配置するかという、細やかなところまで責任者から決められて行うものです。
その決まり事は共通認識になり、そのままそれを続けて良いのだという安心感になります。安心感は作業スピードをはるかに高めるキーポイントですが、じつはこの安心感を悪く言うと'馴れ合い'になります。
ほんとうは異質がまじったにも関わらず、安心感による決まり事(のはずのもの)に則ってそのままいつもどおり続けてしまうと、これはもう異質の放置、拡散、増産につながります。ほんとうはその場合、小さな違和感を顕微鏡で大きく拡大して視認するように、かなり大変ではありますがわざと安心感の決まり事を覆して、そこに異質がまじっていますよ!という状態にしなくてはなりません。そうすることで馴れ合いから脱出ができ、その決まり事を知る誰もが、ああ、この製品はいつものようには続けてはいけないものなんだな、と一目見てわかるのです。
職場バレしないように抽象的に綴っているのでたいへん読みにくいでしょう。ゴメンナサイネ。
ひらたくは…
「安心感の中にあって、小さな違和感こそは大袈裟に騒ぎ立てるか、幼い子が親に、ねえねえ聞いて!と言うようにしてか、とにかく周知させねばならない。それは実際に誰かをつかまえて口頭説明するということを繰り返すよりも、問題の物を縦に置くか横に置くかだけで効果的に表現できる」
というのが言いたいんです。
↑ちょっとは「。」の挟める良文になりました…(^_^;)。これ、声のブログにアゲときます。
目は口ほどに物を言う。
配置を変えた物は噂話よりも周知に優れる。
こんな感じですかね。
これはテクニックです。
右がキャンプ場、左が山頂、と、道標をたてるようなものです。
このテクニックがあれば、噂好きのひとがいちいち何人ものひとに同意を得んとしてやるような、ほぼ足も身振り手振りも口も動かす必要がなく、一瞬で、かなり効果的に特定多数の同意が得られます。
そうですね。これは特定多数への同意を求めるときのテクニックというわけです。
こんだけ文字量の多いブログ書いといてなんですが(嘘と違法行為の多発で逃げられた、裁判離婚をする前はほとんどこんな文字量じゃなかったんだよ💢💢💢💢💢)、昨今の男は…昔からですかね?女の腐ったような者が少なくなく、本人不在のところでその異質性を同意しあおうとお喋りに花を咲かせるようですが、そんなひとたちにわかってほしい、覚えて貰いたいのが、異質さをわざと表現するテクニック、というわけです。
自分の例をみてもわかります。
男が女の腐ったようなやつに成り下がるとき、それは多数の者から嘘や違法行為を押し付けられたときです。
逆に言えば!
女の腐ったような男を見かけたら、ああ、そのひとは嘘や違法行為でさんざん責め立てられたり押し流されたりしたひとなんだな、と察するといいということですよね。
さあて。
押し流されて女の腐ったようなやつに成り下がってしまった男は、いったいどうやって再び男を上げて行けば良いのか。
戦争もないので、難しい時代ですねえ。ヌルフフフフフフ…。
16:39脱