知ったところで行動指針にならないものは、いくらほんとうの話だとしてもわしは陰謀論と見做す。
 食べてすぐ横になると牛になる、とか、働かざる者食うべからず、とか、そういう、具体的に役に立つ諺なんかは光進説と再定義しようか?

 それぞれ所得があるように、得られる情報や人生訓も環境別。新しい古い、嘘本当でやあやあ言ったところで、じゃぁどうしろっての?にどうつなげるかをうまく誘導できるほどの論説でなくてはわしは真実とは呼ばない。
 そしてそんな誘導を、人権まもりながらできるなんて奇跡はそうそう無い。

 本名もわからぬひとたちの言葉が飛び交うインターネット上は、そもそもが米軍開発のものであるなら、基本的に米軍が好ましいとおもう方向性にしか論説は発展しないだろう。だからその裏を幾らか想定しなければ、日本人としての利益が見いだせないと思うのは思考のベース。
 ジュースの果糖ぶどう糖液糖が砂糖に戻る日はいつのことか。
 アメリカもトランプも一枚岩や一筋縄では無いのなら、そしてトランプ自身、自国ファーストでそれぞれにいてほしいと言ったとするなら、インターネットで伝わる言葉は分解し、組み立てなおさなければさらなる良品にして売ることができない。
 高度経済成長期には分解組み立て直しからさらなる良品をつくりだした日本人。いまや分解も難解どころか禁止されたモノゴトはいくらでもある。
 分解組み立て直しができない、かみ砕かれても居ないモノゴトは、信じる信じないのセカイになるのだから、大鉈を振るうような分類でストックせざるを得ないのは当然のこと。

 ほんとうの分類は実際の行動で示す。それはいちいちブログでも表明しないほどの実際的な行動で。
 トランプの、大統領の給与の用い方が聖者的であることを褒め称えたとして、それを真似できる一般的な金持ちがどれくらいいるか?
 日本人はそもそも金持ちだという海外の人たちもいる。それはどれくらいほんとうなのか。
 中国の野望のまえに、日本の中央集権や地方分権がいかほどの分布になっているか、日本人の金持ちは気になるまい。貧乏人は気になるに決まっている。
 貧乏人にトランプの聖者ぶりを真似させようとするまえに、小金持ちがトランプの聖者ぶりを真似したことを小出しにでも発信すれば、まだ陰謀論と分類されず、光進説と分類されるだろうに、インターネットのそもそもを思い出させないほどに強く私的な、あるいは日本ファースト的な情報はそうそうお目にかかれない。

 アメリカを立て、アメリカに尽くせばさまざまな自国内の社会問題が解決するのならそうしたいのはやまやまだ。
 だが、たとえば飲酒運転してもいいだろう?と言う年寄り連中とかどうすればいい?あいつらが、飲酒運転しちゃいけないよね!という若い子をほんとうにひき殺してしまう前に毒ワクチンで死んだら、それって結構、正義じゃないか?

 先に解決しておくべき社会問題はいくつもあって、それらを放置して新しい、最先端の'真実'を発信されたところで、冒頭で述べ始めた感覚になるだけ。

 悪い、古いひとたちを殺すことが正義でないなら、悪い、古い常識だけでも殺していかねばならない。
 所詮聖者でないことに甘んじるひとびとの言葉は、どんなに善を気取っていても届かないのだ。哀しいことに。

 それぞれに、聖者だと思える行為を少しでも多くやればいい。
 どんなに敵対されても、どんなに信じてもらえなくてもやり続ければいい。できる限りででも。
 そういう態度が常識になれば、古き良き日本人の善行はお互い様という感覚が世を支配し、日本ファーストがまた立ち上がっていくだろう。
 今の日本は、へたに小金持ちになったけっか、悪行もお互い様という感覚すら跋扈している。
 これは曇り空のようなもので、どんなに太陽が輝いても地上にそれが降り注がない。

 太陽神ではなく人間として情報を届けなくてはならない。
 それがほんとうの、へりくだりが、ひつような理由。
 相手を欺くための偽物の謙虚さなんか要らないんだよ。