こんばんは🌃

 陰謀論を信じるひとたちは騙されたくないひとたち、もし騙されたとしても損害が最小限に済むことを望むひとたちなんだろうな〜、とみてとる rute5です。


「あなたの人生はあなたの選択による」
この言葉は 消しゴムバリア みたいなものです。

 ほんとうはほんとうにさまざまなひとたちの思惑も実績も入り組んでこの世が出来ているのに、それをなるべく単純化して把握したつもりになりたいから出てくる言葉ゃと思います。

 次々に人が死んでは産まれてくる、こんな世界を把握なんてできるわけがない。
 初めからそのように無知を知ってしまえば平等なんですが、置かれた状況の不平等が心地よいのでしょうかね。無知を認めたくないひとたちは少なくはない。その流れ着く先が、人のせいにする、です。
 人のせいにするひとたちは、さもそれが責任であるかのように語ります。さまざまな要因が複合して為っているのをすべて見るのを怠りながら、責任のように語っても無理があります。同じことを言う人たちで徒党を組めば、無理を通して道理を引っ込ませる…押し通せる場合も少なくないのですが、そうすると結果的に世界の居心地が悪くなります。徒党を組んだひとたち自身も過ごしにくい世の中になってしまうのです。

 さてここで、頭の中の声を嫌がるひとたちに対して提案のような質問があります。
 あなたたちは、その、頭の中の声、その声の主乃至その声の主たちと、会話をしようとしたことがありますか。

 たとえ話があります。
 テレビです。
 テレビはほぼ一方的、放射的に様子が伝えられます。
 ああこれはほんとの生放送だなと思えることもあれば、手のこんだ作り物だなと分かる場合もあるでしょう。どっちかわかりにくい場合もあります。テレビを観て真実を受け取るのは簡単な場合も難しい場合もあります。
 近所で撮影中の生放送の映像ならば、それを観てすぐその場へ行けば"テレビの人"と会話することはできるかもしれません。けれども遠方ですでに撮影済みのものを再生放送された映像であれば、それを観てすぐその場に行ったとしてもその"テレビの人"と会話することはほぼほぼ不可能でしょう。
 "テレビの人"とは会話しなくていい。そのように最初から決め込んでしまうのもできるっちゃできますよね。あなたがそう決め込んでも、テレビは放送されるでしょう。観ない人は観ませんが、観る人は観ます。

 頭の中に指令のごとき、発した者の姿が見えない声がするとき。それがたぶん、今のあなたにとって不利な話の場合、あなたはその声を無視したくなるのです。
 けれども今のあなたは今のあなたのままでいたいのでしょうか。あるいは、今のあなたは今のあなたのままでいられるでしょうか。それを思えば、頭の中に響く見えない指令に従うのも、じつはあなたにとって完全に不利な話にはならないのが実情です。

 むしろ、あなた自身が感じる未来への自己変革の必要性が強いからこそ、頭の中でその声が非常に強く響くということが考えられます。

 西洋人?は神のお告げとしてその声を受け入れる感性を持っています。神性を挟むことで自己の客観視を明確にして、自己変革への抵抗感をやわらげられそうですよね。

 さて、"テレビの人"と会話をしようとすることもできるわけですが、頭の中の声が何かをありのままに受け入れられないひとたちからすれば謂わば、テレビの人と会話なんてできるわけがない!だって住む世界が違うもの!ってなわけです。

 あのね。

 住む世界は婚姻して、毎晩寝床を一緒にしない限りは誰とだって同じにはなりませんよ。

 住む世界を同じにできるのは幸せな、あるいは耐えてでも幸せの枠に収まっている夫婦のみです。
 あとは、他の人たちとはどこまでいっても住む世界は同じにすることなどできません。

 住む世界が違うひとと、扱う言語は違うものですか?
 英語がまったく喋れないで英国人と話をしようってのとは訳が違う。
 話そうと思えば話せるものですよ、住む世界が違うひとたちとだってね。

 この↑理屈をもって、一度あなたのその、頭の中の声、その声の主と会話をしようとしてみてはいかがでしょう。
 きっとあなたが思うほどあなたはあなたに監視されてはいないことが判るでしょう。



 そう。


 騙されたくない、騙されたとしても損害は最小限に抑えたい、そう考えるひとたちは、自分に自分が監視されている状態にあるといえます。
 世界なんていろんなひとの思惑も実績もめぐっているものなのに、それはつまり、あなたの思惑も実績もこちらまで届くほどめぐっているものだという話なのに、あなたはあなたを監視することに無我夢中で、あなたのそれがこちらに届いていることをあなたは認めたがらない。
 
 陰謀論を語ること、検挙できない犯罪を語ることに意味はありません。
 意味があるのは、しようかなとあなたの頭をよぎってもあなたが犯罪をしないとき。あなたが善行を積むときです。
 もちろん、犯罪でもない意味のない話をしてはいけないわけではありません。その手の意味のない話だってお茶菓子ついでに交わせば意味のある時間になるでしょう。

 わしは…
 わたしは、今から賞味期限が切れそうな、ルビーチョコレートを食べたいと思います。
 このルビーチョコレートは、チョコレートが大好きな元嫁に食べさせようと思って買ってきたものです。何ヶ月も食べずにとっときました。
 元嫁が帰ってくるか、自分が拒絶されてでも元嫁に会いに行くかできたならあげようと思っていた珍しいピンク色のルビーチョコレートですが、どうも叶わぬようなので、せめて自分で食べます。

 世界を同じにするには、婚姻届でそれを公に宣言し、寝床を同じにするしかありません。
 それが解らないひととは、いつまで経っても同じ世界に住むことはできません。
 それができない限りは、どこまでいってもお互いさまのはずの自己矛盾を指摘しあう社会、世知辛い世の中にしか生きられません。

 よほどうまくやらないと、わたしたちは子供たちを騙して生きてしまう。



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