悪ではない。だが、身勝手で不便だ。と言わせてもらう。
 以下理由。

 離婚は貞操観念の浅薄を免れ得ない。あのひとともこのひととも子供作ろうなんてやり方は、あのひとを恋しく思っていたほかのひとの可能性を摘む行為。まず、そこで身勝手と言いたい。
 人間はたくさんいるようでいて、子孫繁栄しなければすぐ少子高齢化。たくさんいるんだからとっかえひっかえ結婚したっていいじゃん??そう思うのならあなたは、二人目の結婚相手に発展途上国のひとを選ぶ可能性を考えてみてね。
 先進国を気取るひとたちの生活がいかに発展途上国とされるひとたちの苦役の上に成り立っているか。それをおもうと、先進国と呼ばれるひとたちはひとりひとりが聖者になって当たり前。潔癖で、貞操観念がきっちりしていて、血統においてルーズな拡散をせず、文化の継承における公平性をも尊ぶ。ソウイウモノニ、アナタハナリナサイ。
 なぜって、そういう聖者な存在にでもなってくれないとそれを支えたひとたちの苦役は報われず、報われなければ苦役は単なる不満をうみ、鬱屈した不満はたまりにたまればジェノサイド、内戦、レイプ、殺人、強盗、麻薬…そういった恨み節の具現化を文化にしてしまうから。
 もっと文化水準が高くなればこんなにも素晴らしい生活や感情を日々味わえるんだよと、先進国のにんげんたちはお手本をみせなくちゃいけない。
 貧しくとも勤勉で誠実、という価値観を高めてきた過去の日本人たちは、その底力でもっていまの日本人たちを先進国民へと押し上げた。いまの日本人たちが便利で死ににくい豊かな文化的生活を送れているのは、昔のひとたちのなかで、美徳のために我慢できたひとたちのおかげなんだよね。
 そういう文化の話を真面目に進展させずに既成概念に基づくループで満足していれば、テロ、カルト教団、裏社会、そういったものが、それらはそれらでループをつくって行くんだと思うよ? それってさ、厄介じゃない? それってじつは、不便じゃない? オレは不便だとおもうよ? たとえば失恋したとき、世界の半分は女だよ、と言われても、その半分は裏社会だよ? とかなれば、立ち直るのに2倍時間がかかるからね。オレはそれ、とっても不便だとおもう。
 とっかえひっかえできちゃったひとは身勝手をある程度自覚しつつも、便利でいいじゃん? と思うのだろうけど、だれかの便利さって大概、ほかのひとの不便さで成り立っているからね。しかも、子孫繁栄において公平性を意識しない身勝手さは少子高齢化時代を呼び寄せ、便利な誰かと不便な誰かが同数ならまだしも、便利な誰かが少数で、不便な誰かが多数になんかなると治安も悪化しますえ?

 以上をもって、離婚は悪ではないが、身勝手で不便、という話をさせてもらいました。

 我慢も美徳も先ずは誰かほかのひとのため。それがたとえ自身にかえってくるまえに我慢したひとが死んでしまったとしても、かわりに自身の子供にその優待権が与えられる可能性がある。
 オレは我慢をしたひとの子供であるというあなたがその優待権を謳歌したところで舌打ちするくらいしかできないだろうけど、あなたとあなたの母と、どちらがいい女かと聞かれたら、我慢したあなたの母のほうだと答えるだろうね。

 この問題をうちの嫁と義母にあてはめると、義母は義父の離婚に相当する重大な事由を我慢したとはいえ、孫を奪い取りたい欲望と、私費を義息には世代という間接的なかたちででもカケラもわたしたくなかった欲望を我慢できなかったことをおもえば、いい女とは言えない。
 うちの嫁もそれに添っているので、いまのところはいい女とは言えない。
 いい女でなきゃ褒める気にも抱く気にもなれん。当たり前。
 こんな感じかな。

 誰かが誰かと話すとき、そこにはキャラクターの思い込み、関係性の維持前提といったもの、そのひとの真意が表に現れにくい条件は往々にしてある。
 あなたが母が我慢した人生を心底悔やんで死んだように思えるのはあなたの優待権行使の気分がみせた思い込みによる幻である可能性はなくはなく、あなたの母はひとりでいるとき、あなたの知らない世界中から賛美の声を受け取っていたかもしれない。

 神様は良い子から天国に呼ぶという。
 若くして亡くなったひとはあなたが地獄に落ちた相対として天国にいっただけで、ほんとうはあなたのほうが親不孝にも母より先に亡くなった存在だったのかもしれない。

 こんな立ち入った感情をも無関係のはずの、同じアメブロガーというだけのオレに想起させるのをあなたが嫌悪するのなら、離婚は悪ではないという発言も取り消そう。