詳しい経緯は書きたくないが、現在創価学会の方であろうひとのすすめで聖教新聞を毎日読んでいる。
 もともと仏教を自覚するオレなので日蓮との親和性もないはずはないが、貧乏役者時代にいちど、貧乏がゆえにつながりそうでつながらなかった創価学会。きっとオカネがかかるんだろうなと思ってそれなりの警戒心というか、ある種の不信心を保ちながら読んでいる。
 (こっから敬体)
 演劇っつーたら結構創価学会とつながるらしいんやが、オレはつながりそうでつながらんやったです。貧乏はいろいろ不便です。逆に、中立性を保つという意味では便利ですけど。
 ここ3日、聖教新聞はいち人間理解、地域理解として読んでいます。オレは宗教というものに腫れ物にさわるような感性はありません。ひとまずおずおずと、なにを伝えたいんだろう? なにが望みなんだろう? というのはすなおに知ろうとします。だからいろんな宗教法人の方々と出会っては別れた時期もあります。
 こちらが彼らの期待に応えられるかに、オカネの問題がでてくるのならもうどうしょうもないんですよね。オレだいたいずーっと貧乏ですから。信じないから貧乏? 信じるから貧乏? 同じ仏教のはずなのに、って疑念は尽きることがありません。

 右往左往したくなくて、やっとのおもいで見出した醒案如来というブランニュースター。たぶん宗教のなかでの位置づけは明確なんだけど、中身は結局和洋折衷。ときどき見る予知夢が頼りの零細宗教です。

 予知夢なんて、誰でも見るよね??

 見…、見るよねっ!??