孤独死についての記事を読んだ。
 喫煙や飲酒などよりも孤独がいちばん健康に悪い、とある。たしかに。頷ける。オレは久美子に連れ去り別居という違法行為をされて、緩慢な自殺を教唆されているという旨、主張書面につづったことがある。トゥルースリーパーで睡眠を強くなるための行為としてイベント化するまで、冷えるがまま、このまま死んでもいいという気持ちで、布団に入らず着の身着のまま倒れていた時期など特に、セルフネグレクトと呼ばれそうな調子だった。
 孤独は現代に蔓延る伝染病。
 西洋では孤独に関してそのように言って注意を呼びかけているらしい。
 なるほどオレが北九州芸術劇場で初めて出演をかちとった半舞台作品アゴタ・クリストフ『伝染病』はそれをメッセージとしていたのか。プロデューサーはアフタートークで意味がない作品と言っていたけど。
 しかしなあ。
 伝染病というからには、伝染るわけだ。
 孤独のひとに近づくと孤独が伝染るのか?それはおかしいだろう。
 オレからしたら、国と個人を対立させて考える、片親手当目当て連れ去り別居離婚手法のほうがよほど伝染る病だとおもうぞ。
(え?旦那を切り捨てて国からもっとオカネがもらえるの?欲しい!ぜひ欲しい!)
そのやり口を役所の相談員や法テラスの弁護士、その手法による離婚を成立させた経験者や裁判官たち。彼らを通して伝染し、別れたがる女によって発症したのが、その病だとおもう。
 オレは正しい。飲酒運転幇助をし、監護権親権侵害をしているのは久美子たち。あいつらがアルコール依存症の義父を本質的な孤独、オレを形式的な孤独に追いやることをなんとも思わないバカな病気持ちなのであって、正しいオレが病気呼ばわりされるいわれはない。
 オレは1週間半下痢が続けば潰瘍性大腸炎をうたがい病院にいくつもりはあったし、ゴミも辛うじて片付けている。愛好会には出向くし仕事にも泣きながらでも行く。孤独がいかに危険かは重々承知している。セルフネグレクトに走る気持ちはあるが、それはこうして、一日三人なんて読者数のブログを活用してなんとかかんとか抑えている。
 もう少しそのへん、そのうち突っ込んで書くよ。

 国は国民の頑張りでできている。その意味に反したり切り離したりする思考法、手法はすべて違法行為と考えて差し支えない。
 フランスでは刑法で連れ去り別居を禁じている。ハーグ条約からかんがえても、まだ国内法が整備されていないからその行為が罪でないと、駆け込み連れ去り別居をするのはほんとうに間違っている。
 とある国民をまるで国民でないかのように切り離して考える「あんたより国よ!」という態度は、内乱罪ということもできよう。子供らを児玉家や風評の流布で味方につけた相談員や弁護士や幼稚園という多人数で奪ってしまい、実父であるオレを切り離し、国からオカネをもらおうなどという行為は、オレもオレの親も久美子の親も久美子もひとしく法のもとに平等な国民であることを否定する、無視、連れ去り、という暴力を駆使した内乱罪である。
 あおり運転の判決で高速道路における最低速度の話がでてこなかったように、現行法でも扱う人間たちがその知識を維持できなければ犯罪はすり抜けて正義は抜け落ちてしまう。
 オレは久美子に対して、飲酒運転幇助は辞めようよと言うことを何年もせず、とにかく、自分が彼女を養えるようになり、彼女の健康状態を向上させ、包括的にその違法行為から引き離すことを先ずは死力を尽くして頑張った。ほんとうに死にそうな目に何度もあった。だが結局彼女はオレを信用せず、いくつもの約束違反、民事法違反をしてまでオレについてこなかった。
 悪いことは悪いと、現行法の知識を完璧に維持して、悪いことを悪いと思っていないニンゲンを追い詰めてその罪を潰してしまわないと、結局飲酒運転事故で悲しい思いをするのはその努力をする必要を感じていなかった全く関係のないはずの一般人、よその家庭のひとなのである。
 無関係なはずのひとびとよ。
 国民である以上、無関心ではいられない。
 どうぞ熟考されたし。