また三つ子税か。

 学卒後、親のスネをかじりながら県を助けていた時期、国民一人あたりの借金なんてものは俺はタダ働きで返していたと数えた。
 そのあと、ひとの三倍や四倍きつい仕事をする日々を2年半続けて、スネをかじった日々のひとの半分しか仕事しないという汚名を返上した。
 義理の父の飲酒運転はそのうち嫁の精神が安定してから家族の力と警察のチカラを合わせて解決するとして、なんの問題もなく、しあわせな家庭を築けるはずだった。
 しかし三つ子がうまれた。
 三つ子を育てるために、と、オレの発言は義理の母にことごとく蔑ろにされ、まるで飲酒運転を幇助するために、子供たちは嫁と義理の両親に強奪された。
 三つ子税だ。
 三つ子を殺しても法律違反にならない時期に殺さなかったから。
 オレが慈愛の精神をふんだんに溢れさせたから、オレは何人ものひとに他にいい人を探せというふうに言われるはめに陥った。
 でも養育費、さらにさまざまなシチュエーションで街から三つ子税を引かれるような日々のなかで、他に誰が俺に魅力を感じて一緒になりたいとおもうだろうか。

 左を見ている。
 カイト、ふつうのひとの眼には右を見ても左を見ても大体生きた未来がうつるものさ。だから君は簡単だ、と言えたのさ。
 しかし俺は、俺自身の身体の素材はふつうのひとと同じなんだが、オレの右目に写る世界は普通じゃないんだよ。オレの右目には、生きた未来はなかなか写らない。そういう親のもとに産まれたから。
 でもね。左目には、生きた未来がしっかりと写るんだ。そういう親のもとに産まれたから。ただオレの身体の素材はふつうのひとと同じだから、右目にも生きた未来が写るはずだと、そうおもってやまなかったのさ。
 だが、こんなふうに不幸ばかりが訪れて、オレは考えるよりも先に動く今を、動くよりも先に考えるいまにひっくり返すようにした。
 オレはこれからやっと、生きた未来を見させてもらうよ。
 御徒町凧、君の助言は的外れだった。
 君の助言は、マリー・アントワネットの「パンがなければケーキをたべればいいじゃない」と同じものだったよ。

 さあ未来を見るよ。