直前のブログ記事の精神状態で淫夢をいそがしく避けていたら、前立腺オナニーなるものをネットで知った。まえまえから、性的なモノ、大人のオモチャというのはいちいちたくさん作られているなあ…と、げんなり感心していたんだが、こんなものにまで…とゲンナリしているなかでふと思ったのである。男なのに、女と同じ快感を味わおう、て、それ、もう女じゃないのか?と。そこで発想がLGBTにむすびついた。ははあ、なるほど、ホモセクシュアルというのはそういうことか、と。
 どちらかが女になって、どちらかが男ならぬもの(男なら妊娠する穴に入れたくなるからこの場合男ならぬもの)になって、快感というもの'だけ'を得よう…?とするわけだな。
 男ならぬもの、と厳密に定義したからには、その場合の女というのもまた、女ならぬものとして厳密にしておこうか。
 ホモセクシャルとは、ふたりの男であるはずの者がひとり女ならぬものになり、もうひとりは男ならぬものになって快感のみを欲しがるものたちをしめすことばである。
 あら、こうきちんと定義したら、やはりこれは愛とは違うぞ。
 男と女は、たった一度の交わりでも成功してしまえば、つまり成功の性交ならば赤ちゃんができて、理論上、そこでもうその成功の性交はできなくなる。快感の追及に関して、反芻に陥りはしない。
 しかしホモセクシャルは最初から失敗の性交をめざし、しかも男ならぬもの、女ならぬものになって交わるのでそれはもう性的とは言い難く、しかも赤ちゃんができるわけでもなく、それはほんとうに交わったと言えるのかすら不明な行為ということになる。さらにいえば、反芻に陥るので、そのあいだ社会とは断絶され、反芻に陥らないで労働に勤しむ人間からすれば、労働をしてくれない、生産性がない確率が非常に高まることになる。さらにいえば本来性器と性器であれば感染するのはその性器なりの細菌になるが、性器でない部分に性器を挿し込むとなればそれはもう感染に関して、性器なりではすまない感染が懸念される。
 これだけの違いがあるのに、なぜホモセクシャルの人間が同じ人間だろうと認めてくれと言うのだ?
 オレは、妊娠のためでない性行為ならばなるべくしたくない。男でありたいと思っているから。男でありつづけ、交わった、赤子を産んでくれた妻のために労働し、労働の対価を分けてあげたいと、心底そうおもう。極端な話、赤子が産まれてしまえばもう二度と性行為できなくても構わない、そのかわりはたらきたい、稼ぎたい、そういう覚悟で妻と交わった。だのに、反芻に陥るような者たちの覚悟のほどはどうだ? 聞いてみたいところだね。 そのパートナーと、一生涯に両手の指で数えるほどの性行為しかしなくても満足して、あとは性行為を極力避けて労働にいそしむことができるのか?と。その覚悟はあるのか?と。
 生産性がない、という発言で議員がやあやあ言われるのをみたが、生産性がないということばは何も赤子をうむかどうかだけの話しではない。実際に、労働における精力の注ぎ方。それが、ほんとうに交わる気があるのかないのかでやはり異なるから、でてきてもおかしくない差異の表現、ことばである。
 ホモセクシャルにも人権があるというのは認める。だが、ホモセクシャルも異性間婚姻と同じように結婚を認めてくれというのはあまりにもおかしな話だろう。同じじゃないのに。覚悟が違うのに。
 オレはホモセクシャルに結婚は認めない。
 ホモセクシャルのカップルが人権以上の権利を結婚によって獲得するのは認めない。レズビアンも同様だ。
 覚悟が違う。
 ホモセクシャルのカップルたちがなかむつまじく?性交のマネゴトを繰り返し行うためにオレが何か協力しなければならないとしたら、それはとても迷惑だ。
 婚姻は個人間の契約。
 結婚は社会的な契約。
 そういう意味の違いをぜひともすべてのひとにきちんとわきまえてもらいたいものだ。
 かんたんにいえば、うちは存在の継承という意味では子供の数は余っている。そして家計は火の車だ。
 ホモセクシャルのひとたちが稼いだお金が税金、助成金として我が家の家計に入ってきたとしても、それでもオレは余った子供をホモセクシャルのカップルに養子として差し出したくはない。そんなことのために子供がうまれオレが孤独になるかもしれないリスクをとってまで性交したんじゃない!
 孤独になるかもしれないリスクも負えずに快感だけ得ようとする略奪者に、同じ権利など与えてたまるか!!
 覚悟がないくせに覚悟した人間とまったく同じだと主張するのは、差別じゃないか!!!
 差別は辞めろ!!!!
 てめーらが差別しているくせに、まるでそれに反対した人間が差別しているみたいなのは、殴った人間が殴りかえされるまえに、殴ったことを知らない第三者をまきこみ、あのひとわたしを殴ろうとしています!暴力反対!というのと同じことだろうが!!
 そういうの、冤罪というんだ!
 確信犯だろうが無自覚だろうが、冤罪反対!