目と口に頼って運転はできない。
安全運転とは不断かつ連続の無事故なのだから。

カルーは耳ならまだ全否定まではされたことがない。
否定はされたことはあっても。

だからカルーは神様の僕になって、神様の声に動かされて動こう。

神様の声は神様の声なんだから、音の有無に関わらず体をうまく動かして下さる。

世間や人様の僕でなくて、
神様の僕でいよう。