いちいちブログをかいているんだと気づいた。


運転技能試験官は、
実力はどうあれ試験中は被験者より上という地位、
直視ではなく鏡で運転者の顔をみる、公道単独走行ではありえない特殊な工夫、
いちいち疑いの目を向けるという仕事意識、
の3つの色眼鏡をかけて被験者の運転を見ている。

3つぶんの色眼鏡を越えて運転の様子を伝えなくてはならないので、わざとらしい、前方より側方ばかりみた記憶が残るような、これってむしろ危ない、という運転を強いられる。

ここに免許再取得までの経過を載せているのは、
皆さんに疑念というものがなんなのかを晒すためである。

試験基準は確かに素晴らしい基準だと思う。
しかしその基準を踏まえたさらに素晴らしい公道走行基準はあると確信している。


年上や経験者は得てして、年下や未経験者に上手に出られたくないものだ。
しかしそれにも色眼鏡の危険があると自覚しなければ、切ない可能性は否定される。

赤ちゃんは切ない可能性そのものだ。

威張らない年上や経験者というのもヘンだが、
真実の追求に終わりはないことが新しい命が宿るための救いであり、
謙虚さこそ和音であれ、と、つとに思う。