生きていく限り、人は、大切な者を失い続ける

その時、人は、大切な者に何をしてやれるのか


とある映画での言葉です


この言葉に

何かこころ引っ掛かったのは

自身が思うに

たぶん

ここ最近、気持ち少しだけ

どこかギスギスしていたのだろう


なんて思っている


別に敢えて書く事でもないのだが

自身、結婚しているわけではないし

予定もない


彼女がいるわけでもない
(さみしーーー!!(笑))


そういう事を思ったのではなく

人が人に出来る事の限度は

いったいどのぐらいなのだろうか?

そして

行う人、行われる人

それぞれの解釈や価値観で判断される

良し悪し


基本的に正しいとか間違いとかは

その物事の基準や一般的な定義、理屈などに対して

個々に判断されるべきものであって

先日も書かせていただいたが

感覚や感情は決して理屈とはリンクしない

と思っている俺にとって

感情論が入ると

基準すら定まらなくなる事の方が

多々ある気が…(笑)


言い換えれば

これは俺の短所でもある


そこに中身や内容が無ければ興味も持たないし

熱くならなければつまらない


その反面


俺自身だけのものの尺度で中身や内容を判断しがちになり

熱くなる事で視野が狭くなりがちになる


また長所で言い換えるならば…


これは敢えて書くまでもない


最近


映画や音楽

書籍や雑誌

著名人や有名人

日本や海外


そういったものに

いままでとは違った見方や感覚で捉えている

気がする


先日もご配信させていただいた

当メルマガに置いても

生前ガボールはある種の芸術品であり

芸術品が故に

それを見出す感覚やセンスのある方は

限られる


などと、いままで思わなかったような感情が芽生えたのは

いままで関わったすべての方々や

いまもなお、ご親交のある方々を含めた

自身の環境がとても恵まれているからなんだろうなぁ

とあらためて思う


そしてこれから先

さまざまな方々と出会い

互いに刺激し合える関係を築いていけばいいな

なんて思う


そんな


そんな


寒い一日でした
(昨日、茨城は暖かかったせいか、余計に寒く感じたっ!!(笑))