人間関係を何よりも大切にしてきたのに、ある時期から煩わしくて片っ端から繋がりを絶った。友情・愛情・優しさ・喧嘩・裏切り・本音・建て前・義理・人情、クッソめんどくせえ・・・。そうなってもう10年くらい経つかな。大事にしてたモン蹴散らしてしまうと、それまでの自分も無かったものになってしまって自分って何じゃろ?となってしまう。開き直って冷めた生き方を続けると、感情も定まらず人に無関心になる。

去年その無関心がようやく崩れ始めた。母の亡くなるほんの数時間前に、話すのも声にならずに厳しい状況で電話があった。ヘルパーさんが取り次いでくれてもう駄目だって弱気になってるのよ、あと何かお願いがあるって。病院に行き話を聞くと、どうやら自分の車を売却した時のお金17万円が家に置いてあると。それを24時間体制で付いてくれてたヘルパーのFさんへ渡して欲しいということだった。

母が車椅子生活になり、自営業を辞めて介護する父との2人生活。父のストレスもときにはイライラ感として表面に出ることもあって、申し訳なさと体のきつさと不安が入り混じる中で母の笑顔が無くなってた。見かねて責任を果たすべく頑張る父に、ヘルパーの話をしてみた。金が勿体無いなどと言い張る父と軽く言い争い・・・。元々父とはそりが合わず口を開けば喧嘩ばかり。微妙な関係だったから当然と言えば当然なんだけど。それからしばらくして、ヘルパーさんが日替わりで3人交代で数時間つくようになった。そのうちの1人がFさん。

母より3歳年上、余程気に入ったのか半年後くらいには勤務先を辞めて泊り込みでついてくれてた。イラッとして強めに当たる父と母の間に入りうまく立ち回ったり、母とテレビの歌番組やラジオを聞き2人でカラオケやってたり、気付けば母に笑顔が戻り父への愚痴をこぼすほど元気になってた。

Fさんは旦那を失くし息子と娘と3人暮らし。息子は訳あって何十年も無職。家は賃貸で借金あり、家計はFさんと娘さんで切り盛り。その生活の大変さを知っているのと感謝の気持ちをどうにか伝えたい結果がその17万だったんだろう。

言葉にならない状態で必死にそれだけ伝えて、了承したら安心したのかすごく落ち着いたようだった。実は電話があった時点で最期ってのは分かってた。弱音を吐いて僕の手を煩わせることを嫌い、決して弱音を吐かない母が駄目かもと。そしてお願いがあると。
夜の11時くらいだったろうか、そのまま残ろうかとも迷ったけど大丈夫と母は望まず。父への連絡もお酒飲んでるからいいと、その場はFさんに任せて帰ることに。帰り際、手を握るとこんな力が残ってたのかと驚くほど力強く握り返してきた。無言で凄い眼力で見つめてた。30秒くらいか1分か?僕の母への最期の言葉は「大丈夫、分かってるから。ゆっくり休んでよ、ありがとうね」

その3時間後にまた電話が鳴った。分かってはいたけど怖くて取れなかった。すぐに出かける準備をしてる間に3件、取らないのは大間違いだった。病院から、Fさんから、父から、聞きたくない話を留守電に記録として残してしまうという失態。

後に聞けば、その当日の昼から夕方に掛けて父には散々弱音を吐き続けていたらしい。夜中、僕が帰った後はベッドを窓際に寄せてFさんと月を見ていたようで、ずっとFさんへお礼を言い続けていたって。

人間関係に辟易して色んな関係を絶ったとき、親との距離もとっていった。ただ母はそれを感じ取っていたと思う。何かあればすぐに連絡をして僕を頼ってた母が、同じ頃に頼るのを止めたから。

最期の無言の訴えも実際はなんだったのか・・・。僕と不仲な父を心配もしてたし、バツ2の僕の今後の心配も、17万忘れんじゃねーぞかもしれんし、直感的にはやはり父のことかとも。この迷いの中、結果的にはこのおかげで父とイイ関係が今築けている。あ、Fさんにはちゃんと四十九日の日に無事17万も渡したぞ。

母が亡くなった5日後、父が脳梗塞で入院。葬儀後いろんな手続きで2人でドタバタし、たまたまその日は「明日は予定無いからゆっくりしろよ、来るんなら夜でいいから」と言われていた日。母が亡くなったダメージを少しでも軽減するのに、あと一ヶ月くらいは通ってもいいかなと気遣ってくれたFさん。彼女が朝方動けない父を見つけて連絡をくれてそのまま救急車を手配してくれた。

何とか回復した今も、1日3時間昼に通ってくれて父と食事をしてくれている。母が言い尽くせなかった感謝の気持ちも引継ぎ、Fさんへは僕がありがとうを言っている。失くした感覚や感情と、煩わしく思えた関係をもう一度手探りで作り上げていこうかと思う。

さっき父からメールがきた・・・。「明日が46年目の結婚記念日なのでお菓子でも買ってきます、取りに寄ってください」

仕事一筋で生きてきて、全てが不器用な男が何をしっかりと愛を育んでんだ。カッコいいじゃないか・・・クソ(笑)