前橋オヤジロッククラブ 飲み会
前橋オヤジロッククラブ Rusty Note(ラスティーノート)のYahmanです。
昨日は、マーキュリーホテルで、前橋オヤジロッククラブの飲み会を行いました。
2時間飲み放題食い放題で、2800円という驚くほど安い値段でできました。しかも、
実際は、3時間くらいの飲み放題です。利益がでるのか、人事ながら心配です。
約20人位の、オヤジロッカーが集まり、音楽ネタから下ネタまで盛りだくさんの内容でした。
ひとつ分かった事は、ギターの達人は、女をイカせるのも達人だということです。8やチ〇ちゃんがいうのだから、間違いないですね。さっそく、運指のトレーニングをしたいと思います。
音楽仲間で、まず聞くのが、どんな音楽を聴いてきたの? ですかね。
自分は、中学2年のときに、ベイシティローラーズを聴くことから、洋楽の魅力に取り付かれていき、すぐに、当時全盛期のKISS、クイーン、エアロスミスとお約束のバンドを聴きあさりまた。高校になって、ビートルズ、ストーンズ、Deep Purple、レッドツェペリン等を聴きながら、どんどんハードロックに傾倒していきました。スコーピオンズ、UFO,ジューダスプリースト等々です。
当時、毎朝、寝起きに聴くのが、UFOの「ライツアウト」でした。そんな中、運命的な出会いが、渋谷陽一の、FM番組で放送した、アイアンメイデンでした。まだ、ファーストアルバムが出る前の、デモテープみたいなものを2曲位放送したもので、カセットテープに録音して、何度も聴いていました。その後、ファーストアルバムが発売になり、虜になって行きました。
大学時代は、当然、レインボー、MSG、ブラックサバス、ヴァンヘイレン等旬なバンドにのめりこむと同時に、イエス、ピンクフロイド、ELP,クリムゾンキング等のプログレや、クラッシュ、セックスピストルズ、ストラングラーズ、ジャム等のパンクにも嵌っていきました。そして忘れてはならないのが、ジャパニーズロックの、ラウドネス、アースシェイカー、44マグナムです。とにかく当時、色々なジャンルの音楽を聴きまくりました。もちろん、基本は、ハードロックですが。そして、就職して、なんとなく、新しい音楽を聴く気力が無くなり、70年代80年代の音楽をずっといていました。空白の15年間ですかね。
そして、39歳のときに、仕事の関係で、ジャマイカに約10ヶ月間住むことになり、新たな音楽に出会いました。そうです、レゲエです。当然レゲエと言えば、ボブマーリーです。後は、・・・
知らない!!!ボブマーリーの「アイ ショット ザ シェリフ」は、クラプトンがカバーしたので、辛うじて知っていましたが、ほとんど曲を知らないし、他のレゲエアーチストなんかまるで知らなかった。ていうか、レゲエなんて嫌いだったし、歪んでないギターなんて考えられなかったとうのが正直なところでした。しかし、ジャマイカに住んでみて、レゲエの良さを肌で感じ、独特の裏ウチのゆるいノリがジャマイカの空気にあっていて、日本で聴くよりも、何倍もバイブスを感じ、たちまちレゲエの虜になってしまいました。当然、ボブマーリーは、ジャマイカ人にとってのジャー(神)だし、自分とっても特別な存在になりました。ボブの住んでいた家(今は、ボブマーリー博物館)にも行ったし、ボブのお骨が眠っているナインマイルズにある、彼の生家にも行きました。ここは、ボブファンの日本人でも中々いけない山奥にある場所で、ちょっと自慢です。
そして、他のレゲエシンガーや、ダンスホールにはまり日本に帰国してから、CDを買い捲りました。夏は、やっぱりレゲエが最高です。
次の写真はボブマーリー博物館前の写真です。中に入ると、普通に、ガンジャ(大麻)を、庭師が売ってきましたが、もちろん断りました。(何でもありの国ですから)

そしてこれが、ボブの名曲「No woman No Cry」です。
昨日は、マーキュリーホテルで、前橋オヤジロッククラブの飲み会を行いました。
2時間飲み放題食い放題で、2800円という驚くほど安い値段でできました。しかも、
実際は、3時間くらいの飲み放題です。利益がでるのか、人事ながら心配です。
約20人位の、オヤジロッカーが集まり、音楽ネタから下ネタまで盛りだくさんの内容でした。
ひとつ分かった事は、ギターの達人は、女をイカせるのも達人だということです。8やチ〇ちゃんがいうのだから、間違いないですね。さっそく、運指のトレーニングをしたいと思います。
音楽仲間で、まず聞くのが、どんな音楽を聴いてきたの? ですかね。
自分は、中学2年のときに、ベイシティローラーズを聴くことから、洋楽の魅力に取り付かれていき、すぐに、当時全盛期のKISS、クイーン、エアロスミスとお約束のバンドを聴きあさりまた。高校になって、ビートルズ、ストーンズ、Deep Purple、レッドツェペリン等を聴きながら、どんどんハードロックに傾倒していきました。スコーピオンズ、UFO,ジューダスプリースト等々です。
当時、毎朝、寝起きに聴くのが、UFOの「ライツアウト」でした。そんな中、運命的な出会いが、渋谷陽一の、FM番組で放送した、アイアンメイデンでした。まだ、ファーストアルバムが出る前の、デモテープみたいなものを2曲位放送したもので、カセットテープに録音して、何度も聴いていました。その後、ファーストアルバムが発売になり、虜になって行きました。
大学時代は、当然、レインボー、MSG、ブラックサバス、ヴァンヘイレン等旬なバンドにのめりこむと同時に、イエス、ピンクフロイド、ELP,クリムゾンキング等のプログレや、クラッシュ、セックスピストルズ、ストラングラーズ、ジャム等のパンクにも嵌っていきました。そして忘れてはならないのが、ジャパニーズロックの、ラウドネス、アースシェイカー、44マグナムです。とにかく当時、色々なジャンルの音楽を聴きまくりました。もちろん、基本は、ハードロックですが。そして、就職して、なんとなく、新しい音楽を聴く気力が無くなり、70年代80年代の音楽をずっといていました。空白の15年間ですかね。
そして、39歳のときに、仕事の関係で、ジャマイカに約10ヶ月間住むことになり、新たな音楽に出会いました。そうです、レゲエです。当然レゲエと言えば、ボブマーリーです。後は、・・・
知らない!!!ボブマーリーの「アイ ショット ザ シェリフ」は、クラプトンがカバーしたので、辛うじて知っていましたが、ほとんど曲を知らないし、他のレゲエアーチストなんかまるで知らなかった。ていうか、レゲエなんて嫌いだったし、歪んでないギターなんて考えられなかったとうのが正直なところでした。しかし、ジャマイカに住んでみて、レゲエの良さを肌で感じ、独特の裏ウチのゆるいノリがジャマイカの空気にあっていて、日本で聴くよりも、何倍もバイブスを感じ、たちまちレゲエの虜になってしまいました。当然、ボブマーリーは、ジャマイカ人にとってのジャー(神)だし、自分とっても特別な存在になりました。ボブの住んでいた家(今は、ボブマーリー博物館)にも行ったし、ボブのお骨が眠っているナインマイルズにある、彼の生家にも行きました。ここは、ボブファンの日本人でも中々いけない山奥にある場所で、ちょっと自慢です。
そして、他のレゲエシンガーや、ダンスホールにはまり日本に帰国してから、CDを買い捲りました。夏は、やっぱりレゲエが最高です。
次の写真はボブマーリー博物館前の写真です。中に入ると、普通に、ガンジャ(大麻)を、庭師が売ってきましたが、もちろん断りました。(何でもありの国ですから)

そしてこれが、ボブの名曲「No woman No Cry」です。