アーユルヴェーダ医師、蓮村誠先生のつぶやきがとても良かったのでシェアしますね【蓮村医師のつぶやき 6/24】昨日、「意思をもつ」とは、自分を完全に肯定し、喜びがあり、他の人のためになり、明確である、の4つの条件を備えているという話しをしました。実は、これはそれほど難しいことではなくて、ほんとうは無邪気でとてもシンプルなことです。むしろ、自分を肯定せず、喜びがなく、他の人のためにならず、そして不明確であることのほうが、よっぽど困難なはずなのです。たとえば、甘いもの好きな彼氏のために、クッキーを焼いてあげたい、という願望をもつとき、「まずくないクッキーを焼く」という意思をもつ人はいませんよね。そうではなくて、「私は彼のためにとても美味しいクッキーを焼く」という意思をもつはずです。そして、そう思うからこそ、あれこれと調べ、材料をそろえ、真剣に調理をするわけです。ほら、とてもシンプルです。意思を持つということは、ほんとうはとても簡単なことなのですが、でも結構私たちは、こころにいろんなストレスをもち、単純でも、無邪気でもなかったりするのです。たとえば、「クッキーは過去に数回しか作ったことがなくて、うまく出来るか自信がない」とか、「今のマンションのオーブンだと十分な火力がないから焼き加減が難しい」とか、「彼は甘党だけど、以前一緒に食べた有名店のクッキーは少し甘さが控えめだった。どのくらいの甘さがいいのかよくわからない」などと、やはり手段や方法にこだわります。お気づきかと思いますが、人がもつこだわりというのは、概ね「手段」や「方法」です。肯定的で、喜びがあり、他の人のためになる、明確な「意思」は願望を叶えるためのすべてであるため、“こだわり”ではないのです。つまり、自分が何かにこだわっていたら、「あぁ、これは手段や方法なんだな」と理解し、まずはきちんと休息を取り、リラックスした心を取り戻し、そして今一度自分の意思を明らかにしてください。そうすれば、自分の大切なオージャス(※気、元気)を浪費することなく、スムースに幸福を拡大していくことができます。 この文章を読んで、今まで自分がよかれと思っていたことが「こだわり(言い換えれば執着)」だった…と、いくつか気付かされたことがありました。 このたとえを借りて言えば「美味しいクッキーを焼くこと」に、強くこだわりすぎてしまったという点です。 もちろん自分が焼いた美味しいクッキーがとびきり上手で、ラッピングも完璧だったらそれは大成功ですが、何かひとつでも欠けてしまって大失敗しちゃった…という場合。それが原因で彼が自分のことを大嫌いになってしまうのでは~ とかもう二度と会わせる顔はない~ とかそこまで突き詰めて考えてしまうのは行き過ぎで、たとえ、うまく焼けなかったクッキーでも、贈られる彼はそのために時間や労力を割いたことに感激し、「その気持ち(愛)を受け取る」と思うのです「も~、君ったらしょうがないなあ」なんて笑いながらね。 あるいはその気持ちをもう一度みつめなおしてみたら「彼のために美味しいクッキーを焼くこと」よりも、もしかしたら「彼と美味しいクッキーを一緒に食べたい」という気持ちの方が強くて大事だと気付くかもしれません。そうしたら、彼氏が大好きな有名店のクッキーを買ってきて一緒に食べても問題ないわけです旅にたとえたら、新幹線でも、飛行機でも、ヒッチハイクでも、夜行バスでも、自転車でも、徒歩でも、目的地に到着するためにさまざまな方法があるように、時々は立ち止まって、地図を広げて、目的地と現在地を確認するように、「自分の意思をもういちど確認してみること」が大事なんだなあ~と感じましたよろしければ「バナーをポチッとな」応援をお願いいたします!
よねやまゆうこのワタクシ的茶碗三杯
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