では、ちゃんとした作品紹介。
そして展示にあたってネタバレ含んでますので、僕みたいに映画の結末先に知ってから寧ろ見に行きたいって思えるタイプじゃない方はご注意。
けどこれ読んでから余計に展示会場行きたいってなってくれたら嬉しいですが。
今回の制作する上でモチーフとしたのはルシファー。
恐らくちょっと興味がある方だとその名前は聞いたことあるかと。
堕天使であったり、悪魔であったり。
けど大体の文面では天使のなかでも最上位の熾天使ながらも神への反逆を理由として天から追放された者ってのがルシファーである。
今回制作にあたる上でルシファーをモチーフとしたのは、宗教観を抜きにして反逆、自己の実力に驕りをもった者としてアイコン、象徴になり得ると。
では何への反逆を表現したのか。
現代の生きてく中で、大学行ったりしていい企業勤めてお金を得てってのが王道コース(個人的に感じてるだけかもしれないが)な生き方、
親や、学校にも、そう教えられそう生きるのがベターであったりそうしたほうがいいといわれる生き方だと思う。
でも現状、自分が生きてこう、歩んでこうとしてる彫金(しかもシルバーアクセサリーってニッチな)ってのはそういう生き方よりもかけ離れ、ベターな生き方ではないと自負してます。
これってちょっと昔の宗教の教えをまず第1とする世界だったら、神の教えをそのまんま行わないひとなんじゃないのか、、、、?
ベターじゃない生き方こそ社会という現代神への反逆じゃないのか?
っておもったのが今回の作品の根源にある部分。
したいことをする。
作りたいものを作る。
それこそが。
そこで制作したのが今回のルシファー
ただし、熾天使として。
なぜ熾天使かと。
勿論、熾天使というからには最高位の天使という設定は使わせていただいてるのですが、そっから先(堕天だとかの話)はもしもの話として作品を見て考えて欲しいとおもっています。
ではもしも、ルシファーが自らに驕らずにいたなら、、
野心を抱き続ければしっかりと神を上回る実力をもってしてから勝利をしたかもしれない。
そうだとしても敗北してしまったのかもしれない。
それとも神に継ぐ存在ということで存在し続けたかもしれない。
そんなもしもを表現したのが今回。
熾天使という存在が身を燃え上がせる姿であることから全体的に炎をイメージしたデザインと配色に。
3つの顔は無表情、歓喜、悲哀。
目がないのはやはり自らの実力に盲目であり敗北したのかもしれない暗示の一面と神を具体化してはいけないとの宗教上の決まりを参考にした上での勝利し神以上の存在であるかもしれないことの暗示。
教会装飾の薔薇窓は神の象徴として。
ただ、神の前に磔となっているのか、後光を得ているのかというのはこれもまた上記のような二面性から。
いつもと違って完全に作品を作ってしまったので説明云々長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。