空中遊泳、モノレール。

上野動物園の東園と西園とを結ぶ懸垂式モノレールです。かつてはこの下を都電が走っていました。立体交差の風景に未来が見えたことでしょう。
上野動物園表門。

上野の山には動物園や美術館のほかにも見所が沢山ありまして、こちらは上野大仏。

関東大震災で顔が落ちてしまい、胴体は戦争で供出されてしまいました。今はこのようなお姿ですが、これ以上落ちないことから、「合格大仏」と言われています。
さて、上野動物園に戻ります。こちらは旧正門。今は使われていません。

今の正門の役割は表門が担いますが、正門の名は譲っていません。プライドを感じますね。
その旧正門近くには、こんな建物が残っています。

京成電車の博物館動物園駅の第2の出入口跡です。さぞかし賑わったことでしょう。
国会議事堂のてっぺんだけがこんなところに。

この重厚な建物が京成電車の博物館動物園駅跡です。
芸術の森、上野の山に見合う凝った意匠が施されています。

その地下にホームは残されていて、今でも電車から見ることができます。木製の改札口に、手売りのきっぷで、細々と営業していましたが、4両編成しか停まれないことが致命的となり、平成16年に廃止されてしまいました。

もうひとつ、その地下トンネルの出口付近に寛永寺坂という駅があって、その跡が残っています。信号の左側の空間がホーム跡です。

スカイライナーがビュンビュン走るその頭上には、

最近までこんな建物が残されていました。
先ほどの寛永寺坂駅元駅舎です。
今はコンビニになってしまいました。

しつこいですね。
近くにはもうひとつ京成電車の廃止された駅がありました。道灌山通駅といいます。

今では西日暮里駅に隣り合うエリアですが、この付近に道灌山通駅はあったのでしょうか。昭和の香りが漂う高架橋に痕跡が見つけられませんでした。
結びに、「森の包み紙」。
懐かしの京成デパートの包み紙。
京成電車の絵はがきを乗せてみました。この包み紙は東山魁夷画伯のデザインです。

上野の山は宝箱。
京成デパートの包み紙で、いつまでも大切に心にしまっておきたいものが沢山ありました。