広島の平和記念公園から原爆ドームへ。
手を合わせました。

世界平和を願い、過去の過ちを繰り返さないために、爆心地に近い中島町は都市計画により広大な平和記念公園になりました。
もともとは広島市内の繁華街のひとつだったそうですから、都市計画を実行するのも大変だったことと思います。

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広島市内を走る路面電車。
被爆当時の車両が、今も現役で2両走っていると聞き、早朝から探してみました。

まずやってきたのは、もと京都市電です。


路面電車の運転士さん。
かっこいいです。
憧れます。

昭和の香りがまた最高です。
いつまででも乗っていたい気持ちになります。


油断していたら、被爆電車とすれ違いました。途中まで追いかけて、終点で
折り返しを待つことにしましょう。

それにしても、路面電車の走る町は素敵です。

西日本は、路面電車を守り育てている都市が多いですね。
東日本は、東京に倣ってしまったのでしょうか。次々と姿を消してしまいました。




こちらの車両も古参です。
元神戸市電。


被爆電車がやって来ました。

車内には説明書きもありました。
現役で走っていることで、平和の大切さを黙々と伝えてくれているように思います。

原爆が投下されたのも、こんな朝の通勤・通学時間だったのでしょう。



平和の大切さを次の世代に伝えていかなければいけません。被爆電車もそう思って、元気に走ってくれているのだと思うのです。


被爆電車を、姿が見えなくなるまで見送りました。ありがとう。


朝が来ました。
また新しい一日が始まりました。
あたりまえのように繰り返される毎日ですが、あたりまえに感謝する日も必要だよと、被爆電車に教えられました。