ささやかな夢が叶った、軍艦島上陸。

上陸見学の後は、見学通路からは見えない島の反対側を海上から見学します。


島からみるドルフィン桟橋はこんな感じです。


桟橋の横にはかつての積込桟橋の橋脚が残ります。海の波風でかなり風化しています。


海はとても澄んでいました。誰ですか、帽子を飛ばしてしまったのは。


船のデッキ上から無心にシャッターを切る
方々が。私もですが。


左側の白い建物が端島小中学校。その手前の低い建物が端島病院と隔離病棟です。過酷な炭坑労働。命を繋ぐ砦だったのでしょう。


逆光で見にくいですが、見学通路と反対側の海上から望む軍艦島です。右手に連なる建物群は全て住宅です。一つひとつの窓に灯りが点り、確かにここに暮らしがありました。


中央部は建物が朽ち崩れています。これが木造建築と鉄筋コンクリート造りの大きな違いですね。木造の建物は寺院でした。島に唯一の寺院ですので、全宗派に対応していたそうです。島には火葬場がありませんので、亡くなられた方は隣の島へ船で運ばれ、火葬されたのだそうです。


台風などによる高波では、住宅はかなりの波を被ったそうです。


少し島から離れてみると、島影はまさに軍艦です。この角度から軍艦土佐に似ていると言われていたのだそうです。


一番右端の建物が、島の上からも見ました高層鉄筋コンクリート造り最古の住宅です。


同じく右側が総合事務所です。

ところで、この真ん中の山がもともとの端島なのです。少しずつ埋立てられて軍艦のような形になっていったのでしょう。


ぐるりと桟橋側に戻ってきました。
右側が端島小中学校です。


そして中央の祠は端島神社です。祭礼もありました。今でも島のてっぺんで、誰もいなくなった島を守り続けているかのようです。


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黒いダイヤを追いかけて。
海上都市を築いた一時代。

今の日本では希薄になってしまったことを否めない隣近所とのコミュニティー等々。

写真を整理しながら、端島で営まれていた暮らしに想いを馳せています。