最近、哲学的なことを考える機会がふえている。

 

宗教もそのひとつ。

わたしが習慣として宗教というものに触れ合う機会というのは、

お正月やお盆のような一般的な行事のときくらいだ。

 

その他、細々としたイベントは宗派によってあるだろうが、

そういった類のものはほとんど無知に等しいし、

聞いたり、教えてもらったとしてもすぐに忘れてしまう。

 

わたしにとって宗教なんてそんな程度のものだった。

これまでの人生においては。

 

*****

 

わたしの住む地域は歴史、とりわけ、戦国時代と関係がとてもふかい。

わたしがそこで生まれ育ったわけではなく、

たまたま、きっかけがあって、

そこに住み着くようになった。

 

むかしは歴史の勉強も大っ嫌いだった。

歴史を勉強して何になるのか、まったく理解できなかった。

そして大人になってからもそれはつづく。

 

でも、

たとえば、歴史に関係の深い場所に旅行に行ったときとかには、

「この場所の歴史を知っていれば、もっとこの旅行が楽しくなるだろうなぁ」

とは、ぼんやりと思っていた。

 

だからといって、展示物などに歴史的背景が刻まれていたとしても、

興味を持たない人間には響かない。

いつも、

「ふーん、そうなんだ。」

で終わっていた。

そして、その場を立ち去れば忘れてしまう。

 

しかし、昨年、わたしに変化が訪れた。

あんなに嫌いだった歴史(特に戦国史)に興味がわく機会が訪れたのだ。

きっかけは、織田信長。

詳しいことは置いておくとして、わたしは織田信長という人物が、

ほんとうはどんな人だったのか、知りたくなった。

死を招いたあの出来事については、戦国時代にタイムスリップしてでも真相を確かめたい

そんな衝動に駆られるほどだった。

 

それから織田信長の周囲の人たち、

そこから歴史はどう動くのか、

どんどん興味がわいてきて、

信長以降、戦国時代末期までをざっくりと調べ上げた。

 

すると、歴史的建造物や歴史が動いた場所にもどんどん興味が及ぶ。

いままでほとんど興味がなかったお城や古戦場、宿場街、古道など、

あらゆるところに行きたくなる。

 

その中にお寺や神社も含まれる。

 

そんなつながりで、

いま、わたしが住んでいるこの土地のことをもっと知りたくなり、

おさんぽに出かけるきっかけを掴んだというわけである。

 

去年の秋ごろ、

そういう歴史的なものを見て回るさんぽイベントがあることを知る。

ほとんど毎週土日に開催されていて、テーマも毎回違い、参加料は500円という手軽さ。

すぐさま申し込んだ。

 

最初に申し込んだのは、

お坊さんと回る地蔵巡りさんぽだった。

数あるさんぽの中からなぜそれに惹かれたのか、全く覚えていない。

 

こどものころ、祖母がよく、近所のお地蔵さん参りに連れて行ってくれた。

どういうタイミングで行っていたのかは全くわからないし、

何地蔵さんかも知らない。

ただ、祖母が「お地蔵さんのところに行く」というので、

「わたしも行く。」と、祖母にくっついていき、

お地蔵さんのところに着くと、

「じゃあ、ここで『のんのん、あん』しようね。」と言われて、

「のんのん、あん。」と言って帰ってくる。

 

お地蔵さんの思い出と言えば、それくらいだ。

 

お坊さんに会うのも、いつぶりなのかわからない。

最後にお坊さんという存在の方に会ったのが何故だったのかも覚えていない。

お坊さんはわたしにとってそのくらい遠い存在だった。

 

そのさんぽで、お坊さんと一緒に歩き、

お地蔵さんのところに着くたびにお坊さんがお経を唱えて下さり、

なんだかとても新鮮な感じがした。

そのさんぽの最後にたどり着いたお寺で、

そのお寺の住職さんがお地蔵さんのお話を聞かせて下さった。

 

「お地蔵さんとはどういうお方なのか」

 

考えてみたこともなかった。

 

それから、なんとなく宗教について、かんがえるようになった。

そのさんぽで学んだのは、

お経の意味。宗教の教え。

 

そもそも、宗教とは何なのか。

 

わたしなりに考えた結果、

宗教こそが奇跡に近いのではないか、と思う。

 

何を言っているのかわからないかもしれないが、

つまり、

宗教(ここでいう「宗教」は仏教のことを指している)は、

お経にも唱えられるように、

人生において、遠い遠い昔の人たちが、

考え、迷い、悩んで、導き出された答えが、

お経やら、宗教という形になって、

現在まで息づいている

 

時代は変わっても

人々の本質は変わらず、

悩みはそれぞれ違っても

結局たどり着く場所は同じで、

「こう」生きれば

楽になれるんじゃないかって

 

遥かむかしの人たちの想いが

今のわたしたちにつながっている。

 

そして、

わたしが考え、迷い、悩んで、導き出された答えと同じものが

宗教の教えに存在したりする。

 

結局は、

みんな同じことを考えているんだなぁって、

ちょっと、安心する。

 

そう考えたら、なんか、いちいち深く考えずに

気楽に生きていけばいい。

そんな気さえする。

 

遥か昔の人たちの想いが

現代につながる奇跡。

 

わたしたちができることは、

その奇跡を後世までつないでいくこと。

 

いままでみたいにいい加減に都合のいいときだけ頼るのではなくて、

先人たちの考えを汲んで、ありがたく、

 

その恩恵に与ることにしよう。