先週の土曜日。
前日まで迷いに迷った仕事の話。
当日キャンセルも有り得る今の私を、知人は把握している…って頭ではわかっちゃいるのだけれど、それでもやっぱり「…もし」が浮かぶ。
「もし、行けなかったら…」
結局、後になって気づいた。
私は、「当日キャンセルしてしまうかもしれない自分」「行っても役に立たないかもしれない自分」が怖かったのではなく、そういったコトをもし起こしてしまった時、「失望される」ことを恐れていたんだ、と。
失望される可能性がある「仕事の話」を、最初っから断ってしまえば失望されようがない。
だから、前日まで「どうしよう」「どうしよう」と迷い続けていた。
失望される前に断っちゃおうか…って迷ってたんだわ。アタシは。
けど、行った。
ええぃ もう いいやっ
当日行けれなくたって
役に立たなくったって
失望されたって
もういいやっ
それが「今の私」なんだからっ
ちっちゃい「っ」が多いけど、ホント、直前になってそんな感じで開き直った。
ここで断ってしまったら、次の話もその次の話も断り続けてしまいそう。
そんなんじゃ、「失敗が怖くて身動きできない自分」から、この先もずっと抜け出すことができないじゃないかっ
もう いいっ
失敗したっていいっ
で、行ってきた。
当日は、まず布団から出るまでに葛藤。
布団から出たら支度を始めるまでに葛藤。
支度が終ったら家を出るまでに葛藤。
家を出て電車に乗ったら………
かなりハイレベルな達成感!
電車に乗っただけですでに達成感!
目的地の駅に着けば達成感上書き!
事務所に到着した時には達成感MAX!
来た! アタシ 来た!!
やった!! 来たぞ!!
…こんなね。ちっちゃいコトの積み重ねなんですよ。たぶん「復帰」って。フツーに日常的にこなしている人から見たら笑っちゃうような、ちっちゃいちっちゃい積み重ねなんだろうなぁ…。(←ちょっと気が遠くなっている人)
「ちっちゃいちっちゃい積み重ね」なのだけれど、本人にとっては「おっきなおっきな達成感」です。
到着した時点で達成感MAXの私は、その勢いで「おーっし!やるぞ!」と気合満タン。準備OK。
で なにやればよろし?
…仕事はすでに終っていました(笑)
元から私がいてもいなくても大丈夫な予定組みであったとはいえ、それでも「私が出遅れたからすでに仕事が終っていた」んじゃぁありません。
想定外に、予想外に、超がつくほど順調に進みまくってしまったのです。
だから私が着いた時にはすでに作業はほぼ完了状態。
後は、抜けが無いかチェック&片付け…って感じだったので、ここまできちゃってると流れを掴んでいない私が手伝おうとしても逆にジャマになるだけだ。
作業は別室で行われていたので、私はいつもの事務所部屋でお茶飲みながらテレビ見てました(笑)
当然、「仕事」にはならなかったので小銭稼ぎにもなりませんでしたが、それでも仕事の話を受け、当日ちゃんと行けた。
これがなにか私の殻を割ってくれたらしい。
翌週、つまり今週。
なんか違う。
今までとなんか違う。
なにかこう…動きたくてしょうがない。
「なにか」やりたくてしょうがない。
で、月・火は知人から借りてきた全三部作の映画DVDをぶっ通しで見続け、水曜はちょこまかと用事を片付け&買い物。本日、木曜は病院の帰りに唐突に思い立ち、アポ無し突撃美容院。
10年近く通っている美容院なのだけれども、予約無しの突撃は初めて。
私がパニックを持っていることを担当さんは承知してくれているので、「調子が良くて今日来たんだな」ということを察してくれた様子。「今日は元気そう」と、顔を見て言ってくれたのが嬉しかった。けっこう忙しそうだったのだけれど、待たずにカットしてもらえました。
ありがとー。
美容院、もう半年以上行っていなかった。
半年前に切った時は、美容師やってる友人に頼んで「カットモデル」扱いで切ってもらったんです。でもそこはちょっと家から遠い。そして、友人としては必要としていない状態での、こちらからお願いしての「カットモデル」扱いなので、頼めば快く引き受けてくれるけれども、毎度頼むのは気が引ける。
今日行ったいつもの美容院は1年ぶりくらいになるんじゃないかなぁ?パニックのことを知っているから「それで来れないでいるんだろうなぁ…とは思ってた」って言ってくれたけれど、それもあったけど「¥」も無かったのだよ(泣)
伸び放題に伸びた髪の毛は、それでも束ねるには中途半端で、出掛ける支度をする時の憂鬱さに拍車を掛けてくれていた。
私は毛量が多いので、髪を洗う時には「洗う」よりも「すすぐ」がメンドクサイ。
長ければ長いほど、すすぎもメンドクサイ。
髪をすすぐのがメンドクサイから
髪を洗うのがメンドクサイ。
髪を洗うのがメンドクサイから
お風呂に入るのがメンドクサイ。
カモイ・エアポケットの掃除がメンドクサイから部屋の掃除がメンドクサくなるのと同じ原理です。
んなバカな。と、おっしゃるな。
そういうモノなんですよ。
なにもかもがメンドクサくなっちゃうのです。
出来なくなっちゃうのです。
それならば、できる限り「メンドクサイ因子」を排除していけばいいのだけれど、その排除すらメンドクサカッタリシテ。
例えば「髪を切りに行く」とかね。
もう負のラビリンスよ。
ハタから見たらまさに「ハタ迷惑」かもしれないけれど、本人だってうんと苦しんでるのよ。そんな自分がイヤでしょうがなかったりしてるのよ。
とにかく切ってきました。髪。
スッキリー。サッパリー。
そうはいっても「毎月美容院」なんて贅沢なコトはいってられないので、当分放置しても大丈夫なように、当たり障りなく、極力短めのボブカット。
あぁ これで髪を洗うのも楽チンになるわぁ。
「お風呂に入る」メンドクサイ因子がひとつ排除されました。
「出掛ける支度をする」メンドクサイ因子もひとつ排除されました。
ここまで「ドドドッ!」っと用事を片付けられたのは、土曜日の「仕事に行った」が、きっかけなのです。
実際に仕事はしていないのだけれども、「話を受けて当日行った」
たったこれだけのコトが、自分でも気づかずに自分で作り上げていた「殻」を割ってくれたらしい。
それが一部分だったとしても、一時のものだったとしても、これはけっこう想定外な心境の変化でした。
……「一時」のものな気がする。なぜって今これを書いている時点でここ数日動き回った反動的疲労感が漂ってきているから。
それでも気持ちの面では、「三歩進んで五歩下がる」ところから「三歩進んで二歩下がる」レベルになってきたのかもしれない。
これって、時期とかタイミングとか(←同じ?)あると思う。
殻は、割ろう割ろうと思っても割れるものではなく、また、自分ひとりの力では割れなかったりもする。
外部からの刺激でヒビが入って「ひょっこり」割れちゃったりするのかもしれない。
その刺激も強すぎれば、割れるどころか潰れちゃったりするのかもしれない。
難しい。
その時期なり、タイミングなりは、いつどうやって来るのか?
今の私がこれに答えるとしたら「最低限やれる範囲でやるべきことをやって、あとは待っていれば来る」としか言いようがありません。
そんな私の今回の気づき。
「失敗する自分が怖いんじゃなく、失敗することで失望されることを恐れていた」という、私が自分なりに気づいたことを聞かされた知人は、ケラケラと笑っていました。
それこそ「んな バカな (笑)」って感じで。
「まぁ そうやってちょっとずつ殻割っていくことが必要なんだろうな。これからのrussianには」 と。
失望なんて、そんなコトあるワケないじゃんよ と。
それくらいの覚悟はこっちも承知の上だよ と。
そうハッキリ言われたわけではないのですが、そう感じさせてくれる「ケラケラ」笑いをしてくれました。
改めて、そんな環境を提供してくれている知人に感謝です。
さて、とーとーと長くなりましたが、ここまででタイトル中のみっつを消化しました。
「仕事」と「殻」と「髪」
残るひとつは「世相」
今回の仕事、「ちょっとした作業」を「大量」に「短期間」で終らせなければいけない仕事でした。
そんな時って、大抵は日雇いのアルバイトを雇ったりするのですが、今回、知人は知り合いに連絡を入れた。
その知り合いの会社で働いていた人が、今は仕事を辞めて(クビになったらしい)体が空いていると聞いていたから。
で、そこからさらに知り合い→知り合い→と、八方に広がっていった人脈から、思いのほか人が集まっちゃったのです。
思いのほか「体が空いている」人が多くいたのですね。
つまりそれは今、それだけ「失業中の人が多い」というコト。
集まった顔ぶれ、30代・40代といった男性陣。
元はそれなりの仕事をしてきた(らしい)人達です。(「らしい」ってのは、直接の知り合いはひとりもいなかったので詳細はなんとも)
だから予定していたよりも超がつくほど順調に仕事が進んじゃった。
「思いのほか人が集まっちゃった」理由を聞いて、改めて、今のご時世というか世相というか、そんなものを感じてしまいました。
知人としては助かったといえば大助かりだったのだけれど、その裏事情を見てみれば、なかなか切ないものだったりしていた訳です。
でもね、たとえ今は失業中であっても、こういった時に「あ アイツ」ってお声が掛かるのは、やっぱりそれまでに「それなり」にやってきたからじゃないかなって思います。
じゃなかったら、声を掛けることしないよね。
その「それなり」がどんな形かは、人それぞれなのだろうと思います。
仕事っぷりだけでの評価ではなく、「人柄が」って人もいるのだろうと思います。
知人がよく口にするんです。
「見てる人はちゃんと見ててくれるんだよ」って。
先週の土曜日、あの日あの場に集まった顔ぶれは、裏事情を知れば切ない顔ぶれだったのかもしれないけれど、それでもあの日あの場の雰囲気は、けして暗いものではありませんでした。
なんというか、ひとりひとりが、「自分」を持っているような、そんな雰囲気がありました。
今の私が「アタシ」をちょっと見失っているから、そう見えたのかな?
わからないけれど、なんにしても、いろんな意味でいいきっかけとなった土曜日とその後の一週間でした。
この後の一週間が反動で朽ち果てることになったとしても、後悔はしません(笑)