番外編:現在のモスクワ音楽院・ピアノ科について(2) | モスクワ音楽院留学記〜アーニャちゃんの行き当たりばったりЖИЗНИ~

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『なんとかなるさ!』精神で生きている、マイペースなピアノ弾き・アーニャのモスクワ音楽院留学ブログ。ちなみに『Жизни』とはロシア語で『人生』という意味。

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この記事はコチラの続きです。
この記事を読む前に前回の記事をお読みいただいた方がわかりやすいと思います。

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前回はモスクワ音楽院のピアノ科について、基礎知識をお届けしました!

今回は今の状況をお届けしたいと思います。
しかし、私自身もわかっていないこともあり、憶測で話す部分もあるかもしれません。

*○*

現在、モスクワ音楽院では2つのカフェドラがあります。


○ドレンスキー
○ヴォスクレセンスキー

ドレンスキー先生は系譜を辿るとゴリデンヴェイゼル-ギンズブルグ、ヴォスクレセンスキー先生はイグムノフ-オボーリンとなります♬


さてお気付きの方はいらっしゃるでしょうか?




『あれ、他の流派は?』


実は数年前まで

○メルジャーノフ(ゴリデンヴェイゼル-フェインベルク)
○ゴルノスタエヴァ(ネイガウス)

のカフェドラもありました。

しかし、逝去されたことによりそのカフェドラは誰も後を継がずになくなってしまったようです。

ドレンスキー先生のカフェドラとヴォスクレセンスキー先生のカフェドラに、なくなってしまった2つのカフェドラの先生方は分散して入り今に至るのだとか(;_;)

なので例えば、元々メルジャーノフ先生のカフェドラであった先生方もドレンスキー先生のところに入った人とヴォスクレセンスキー先生のところに入った人と分かれたり、

学生時代は同じ先生についていても違うカフェドラに属して教えてる先生方もいます。


因みに、私のアンドレ先生は以前はメルジャーノフ先生カフェドラに属していましたが、今はヴォスクレセンスキー先生のカフェドラです。


自分に近い方のカフェドラにみんな入ったのかなぁ…。


このカフェドラ制度、実は一度なくなってここ数年、数十年?で復活したとの話も聞いたことがあります。


前回紹介した4つの系統の先生が逝去されてしまってから一度なくなってしまったのでしょうか……。


カフェドラ制度が復活してから、新しい『モスクワ音楽院・ピアノ科』という伝統が始まったと捉えられます。

しかし、違う方面から見れば『元となる系統からの受け継ぎの意識が薄くなってしまった』とも考えられてしまいます(;_;)考えてしまいます、私は(;_;)


しかし、ネイガウス先生が教えていた29番教室は未だにネイガウス先生の弟子から弟子へと守られて使われていますし、ロシア人の先生には1度切りのレッスンも含めて既に10人にレッスンしていただいた事がありますが、先生方からは『僕の先生はこう言ってたよ』という話を聞くことが多いです。

そういうちょっとした小さなところで伝統を大切にし、師から弟子へと継がれているのはなんというかホッとしますね✨

良くも悪くも、時間が流れると変化が起こります。

ずっと同じ、なんて事を求めるのはナンセンスですが、これからのモスクワ音楽院・ピアノ科が伝統も大切にしつつも更に進化していくことを勝手ながら祈ってます。