明治大正と文明開化という
大きな時代の潮流があっても
情報の共有は
極々一部に留まっていたと
振り返れば分かる。
昭和は
政治経済思想工業
全てが発展、高性、好転し
激動と呼ぶにふさわしい時代であろう。
しかし戦前戦後とニ期に
分けて話さなければ
混乱必死な気がする。
真空管からデジタルへの移行
電気の発電送電蓄電と
使い勝手の普及。
情報の共有拡散の速さも
格段と変わり
浸透していると 錯覚している。
格差 無関心 すり込み 思い込み
色々な要素はあれど
環境 境遇 素養 経験
それらを自ら変える替える還る
それが出来ると
知らず分からず判ろうとせず
下へ下へと転げていく
自身も出来る人では 無い。
が 転げ落ちるのを
漠然と受入れたくはない。
落ちないよう しがみつくくらいの
自尊心と気位くらいはある。
へこたれても折られても
落ちないよう落ちないよう。
戦後の昭和
ありとあらゆる物の変化を
作り上げてきた世代が
歳をとったからといって
変化についていけないのは
なぜなんだろう?
明治生まれの祖父は
実父母に育てられず
養子に出され、丁稚となり
学校にも通う事も出来ず
読み書きもカタカナくらいしか
出来ずにいても
堕落せず働き炭坑、開拓と
家庭を家族を守る優しき人であった。
だか
戦後の豊かさを実感出来るはずの
今時の老人世代は
道徳、教育を受けているのに
なんという無様さなんだろう。
時代についていけない、
移り変わり行く時を
リアルで生きてきた人達の現状に
生きてきた間、何を見、経験してたのだ。
苦労も努力も 無下にしているような。
自身はそんな生き方はごめんかな。
身体に老化は始まり
軋み痛み歪みもある。
だから 寝ていれば治るのか?
痛いと愚痴れば 治まるのか?
自身は堕ちないために働き
歪まないよう 動かす。
気力は?
愛おしい者物模。
可愛い生き物を守る為に
衣食住を失くさないために
下品下劣愚連にならないよう
生きる事。
病身で思う様に身体が
動かなくなるかも知れないが
下の世話は最後まで自身でしたい。
その位の気力は 持ち続けたい。
そんな老人の愚痴だ。