よう
お疲れ
みんな元気かい
山田チャソです
今日は南三陸町歌津地区のMさん宅の片付けに行ってきた。
いきなり朝からMさん宅の現場リーダーに抜擢されてしまった。
人選間違ってねぇか
二日目だぜ

入江の奥まった場所の高台にあるお宅。
津波はこちらのお宅のすぐ下の場所で沖からの第3波と内陸から凄い力で戻ってきた引き波がぶち当たり渦を巻いて長閑な集落を徹底的に破壊しつくした。
一階部分は津波の直撃で外壁は剥がれ酷い状況。
俺を含めて4名で剥がれた外壁や木材やモルタルを軽トラに積んで近くの仮集積場所へ数回運ぶ重労働。
今日は現地に来て初めて悲しい現実を知らされた。
こちらの娘さんは大学卒業後に就職し南三陸町役場に勤務。3.11の大津波の際は防災庁舎にいた。

当時の南三陸町防災庁舎は役場職員がちょうど防災対策会議を開いていた。地震に続き14㍍の津波が押し寄せてきて、38名の役場職員は屋上へ避難したが、アンテナ塔にしがみついていた町長を含め数名(5名)以外は屋上の手摺りごと第1波の直撃で流されてしまい。その殆どが今だ行方不明のままだ。
その中にMさん宅の娘さんもいた…。
今日一緒に片付けを手伝ってくださった彼女のお父さんは遠くを見ながら話してくれた。
「(報道された)役場防災無線で最期まで大津波から避難を呼びかけて亡くなった子(女性職員)はうちの娘と同級生なんだよ…」
「今でも(娘を)捜しているんですよ」
俺は何も言えなかった…。
[気を落とさないで。]
[頑張りましょう。]
[独りじゃないですよ]
…
どんな言葉を投げ掛けてもこの現実には【軽すぎる】言葉でしかない…。
ただただ聞く事しかできなかった。
我々に笑顔で貴重な水を使って、カップラーメンや缶コーヒーを差し入れしてくれたり一緒に重たい荷物運びに協力してくれたり…作業が終了し最後は深々とお辞儀をして我々が見えなくなるまで家の外で見送ってくれていた。
搬出した瓦礫(不適切な表現ではあるが)には口紅等化粧品も入っていた。