被災地として、この日の出来事はここに記録していこうと思います。
午後2時46分
東北地方でM9.0という最大規模の地震発生。
その時私は仕事中でした。
事務所で1人で退職の準備や申し送りのまとめなどしていました。
小さな揺れで「あ、また地震だ。」ってすごく軽く思ってたんです。
この2~3日前にも地震があって、余震が続いてたんですよ。
だからこの日も普通に余震しか思ってなかったんです。
でもこの日は違った。
揺れがどんどん大きくなる。
これはやばいと思い、作業場にいる利用者さんを避難させなきゃって思って、
サンダルのまま外へ走りました。
この時はもうすでに大きな揺れで、立っているのもやっと。
利用者さんに「早く!こっちに来て!」というものの、
知的障害者の方なので理解出来ない。すぐに行動しないんです。
激しい揺れで上から物が落ちてくる、危険な中で利用者さんを必死に集めました。
外へ出て、何もない所へ連れて行きみんなの頭を守りました。
悲鳴上げる利用者、泣く利用者、勝手にどこかへ行こうとする利用者。
こっちだって泣きたい。職員1人しかいない状況だったから、すっごくキツかった。
揺れは長かった。
1分から2分くらいは揺れてたんじゃないでしょうか?
揺れてる時、事務所からガラス割れる音、物落ちる音、天井が崩れる音。色んな所から聞こえました。
建物は横にユラユラ。
めまいしてるんじゃないかと思うくらい揺れてるんですよ。
建物があんなに横に揺れるの?ってくらい揺れるんですよ。
そして人間、本当に恐怖に襲われると何もしゃべりません。
やっと長かった揺れも治まり、事務所の状況を見に戻ると
呆然です。
物は散乱。自分がついさっきまで座ってたところにガラスが割れてました。
ここにいたら、大怪我だ・・・そう思いました。
事務所の前の通路もガラスの破片だらけ。
事務所の2階へ行ってみると。。。。。
「うわ。。。アタシ死んでる。」
午前中まで作業していた部屋が崩れてました。
壁がなくなっていて、天井が落下。自分が作業していた場所が1番激しくて
助かったとしても、重症負っています。
食堂もガラスだらけ。冷蔵庫がありえない場所まで移動してる。
誰かに連絡しなきゃ。
でも電話が繋がらない!携帯も通じない!
何でこんな時に誰もいないの!
そう考えてるうちに続く余震。
絶え間ない余震にますます恐怖感が。
その時にメールが。まいまいからでした。
心配してメールしてくれた。あの時メールがなかったらパニック状態でした。
冷静になれた。
とにかく余震が続くから利用者さんを見てなきゃと思った。
しばらくして、同僚が戻ってきて街の状況とか他の施設の状況を聞いて呆然。
停電、道路陥没、電柱が倒れかけてる。
でもこの時、岩手、気仙沼、石巻、名取、亘理、相馬は津波被害に遭ってたんですよね。。。
そして30分後には関東にも地震があったみたいですね。
そんなの全然知らなかった。
宮城県だけと思っていました。
そして1時間後くらいにやっと施設長が戻ってきて、
利用者さんを避難所へ連れて行くことに。
グループホームの利用者さんなので帰れないんです。
停電中、ましてや世話人さんも自分の家庭がありますから。
やむを得ず、体育館での避難生活になるんです。
職員が各ホームから毛布を持ってきて、それぞれを利用者さんに。
ご飯もありません。
非常食のカップケーキだけ。
電気もなく、暖もない。みんなくっついて寝かせました。
余震の度に泣き出す利用者さんを落ち着かせたり。
自分の実家が心配で泣き出す利用者さんもいました。
アタシは家がある。帰ればご飯があって布団があって。。。。
自分だけこんなんでいいのかって思いました。
この日は22時近くまで避難所にいました。
家に帰る途中、街は真っ暗。信号も付いてない。
本当にここはアタシが知ってる街なのか?と思った。
家に帰ったら、
「靴脱ぐな!そのまま入って来い!ガラス落ちてるから!」って。
無事で良かった そう思った。
何にも分からないから聞いてみたら、
大津波があったって。
お姉ちゃんが住んでる仙台、近くには海があるんです。
働いてるところも岩沼と言って、やっぱりそこも海の近く。
姉ちゃんは大丈夫なの?って聞いたら「一応大丈夫とメール着たけど、どこにいるか分からない。」
1度メールが来たっきり連絡がなかったんです。
停電中で真っ暗。
情報はラジオだけ。
被害状況なんて全く分かりません。
携帯でミクシーやらTwitterで
あゆや、あゆダンサー、あゆ友さん達が沢山の情報を発信してくれた。
余震がかなり多いので、
アタシは車の中で一晩過ごしました。
近所では火災があって大騒ぎ。
結局一睡も出来ないまま、
仕事へ。
事務所の片付けをして、避難所にいる利用者さんへのご飯作りしたり。
しばらくは夜勤体制に入るって。
でもアタシは16日から有休消化だからと
みんなが、気を使ってくれて夜勤はしないことに。
医療、福祉関係の世界は大変だと改めて思った。
今は有休消化中で家にこもりっきりです。
停電は、15日の朝に復旧しました。
水道は木曜日に復旧して、
今は普通の生活に戻りつつあります。
そして、
この地震を通して、
人の温かさが身に染みました。
沢山の友達が安否確認のメールをくれたり、
歌を送ってくれたり、
あゆのチャリティTシャツを代わりに購入してくれたり、
原発が心配で、もしもの時はうちにおいで!と言ってくれたり。
本当に友達がいて良かった。
本当にみんなの気持ちが嬉しくて、
泣いてばかりでした。
ありがとう(*^^*)
アタシの地元はそんなに被害にあるわけではないので
心配しないでください。
岩手、気仙沼、石巻、東松島、名取、亘理、南相馬、茨城
これらに比べたら全然いい方なんです。
だから、
アタシの心配はしなくてもいぃです。
この上記の被災地への支援をしてください。
募金も、物資もこの被災地へ送ってください。
買いだめやめてください。
本当に必要な所へ譲って下さい。
まだまだ、
余震とか原発などで不安はありますが、みんなと支え合って生きていきます。
午後2時46分
東北地方でM9.0という最大規模の地震発生。
その時私は仕事中でした。
事務所で1人で退職の準備や申し送りのまとめなどしていました。
小さな揺れで「あ、また地震だ。」ってすごく軽く思ってたんです。
この2~3日前にも地震があって、余震が続いてたんですよ。
だからこの日も普通に余震しか思ってなかったんです。
でもこの日は違った。
揺れがどんどん大きくなる。
これはやばいと思い、作業場にいる利用者さんを避難させなきゃって思って、
サンダルのまま外へ走りました。
この時はもうすでに大きな揺れで、立っているのもやっと。
利用者さんに「早く!こっちに来て!」というものの、
知的障害者の方なので理解出来ない。すぐに行動しないんです。
激しい揺れで上から物が落ちてくる、危険な中で利用者さんを必死に集めました。
外へ出て、何もない所へ連れて行きみんなの頭を守りました。
悲鳴上げる利用者、泣く利用者、勝手にどこかへ行こうとする利用者。
こっちだって泣きたい。職員1人しかいない状況だったから、すっごくキツかった。
揺れは長かった。
1分から2分くらいは揺れてたんじゃないでしょうか?
揺れてる時、事務所からガラス割れる音、物落ちる音、天井が崩れる音。色んな所から聞こえました。
建物は横にユラユラ。
めまいしてるんじゃないかと思うくらい揺れてるんですよ。
建物があんなに横に揺れるの?ってくらい揺れるんですよ。
そして人間、本当に恐怖に襲われると何もしゃべりません。
やっと長かった揺れも治まり、事務所の状況を見に戻ると
呆然です。
物は散乱。自分がついさっきまで座ってたところにガラスが割れてました。
ここにいたら、大怪我だ・・・そう思いました。
事務所の前の通路もガラスの破片だらけ。
事務所の2階へ行ってみると。。。。。
「うわ。。。アタシ死んでる。」
午前中まで作業していた部屋が崩れてました。
壁がなくなっていて、天井が落下。自分が作業していた場所が1番激しくて
助かったとしても、重症負っています。
食堂もガラスだらけ。冷蔵庫がありえない場所まで移動してる。
誰かに連絡しなきゃ。
でも電話が繋がらない!携帯も通じない!
何でこんな時に誰もいないの!
そう考えてるうちに続く余震。
絶え間ない余震にますます恐怖感が。
その時にメールが。まいまいからでした。
心配してメールしてくれた。あの時メールがなかったらパニック状態でした。
冷静になれた。
とにかく余震が続くから利用者さんを見てなきゃと思った。
しばらくして、同僚が戻ってきて街の状況とか他の施設の状況を聞いて呆然。
停電、道路陥没、電柱が倒れかけてる。
でもこの時、岩手、気仙沼、石巻、名取、亘理、相馬は津波被害に遭ってたんですよね。。。
そして30分後には関東にも地震があったみたいですね。
そんなの全然知らなかった。
宮城県だけと思っていました。
そして1時間後くらいにやっと施設長が戻ってきて、
利用者さんを避難所へ連れて行くことに。
グループホームの利用者さんなので帰れないんです。
停電中、ましてや世話人さんも自分の家庭がありますから。
やむを得ず、体育館での避難生活になるんです。
職員が各ホームから毛布を持ってきて、それぞれを利用者さんに。
ご飯もありません。
非常食のカップケーキだけ。
電気もなく、暖もない。みんなくっついて寝かせました。
余震の度に泣き出す利用者さんを落ち着かせたり。
自分の実家が心配で泣き出す利用者さんもいました。
アタシは家がある。帰ればご飯があって布団があって。。。。
自分だけこんなんでいいのかって思いました。
この日は22時近くまで避難所にいました。
家に帰る途中、街は真っ暗。信号も付いてない。
本当にここはアタシが知ってる街なのか?と思った。
家に帰ったら、
「靴脱ぐな!そのまま入って来い!ガラス落ちてるから!」って。
無事で良かった そう思った。
何にも分からないから聞いてみたら、
大津波があったって。
お姉ちゃんが住んでる仙台、近くには海があるんです。
働いてるところも岩沼と言って、やっぱりそこも海の近く。
姉ちゃんは大丈夫なの?って聞いたら「一応大丈夫とメール着たけど、どこにいるか分からない。」
1度メールが来たっきり連絡がなかったんです。
停電中で真っ暗。
情報はラジオだけ。
被害状況なんて全く分かりません。
携帯でミクシーやらTwitterで
あゆや、あゆダンサー、あゆ友さん達が沢山の情報を発信してくれた。
余震がかなり多いので、
アタシは車の中で一晩過ごしました。
近所では火災があって大騒ぎ。
結局一睡も出来ないまま、
仕事へ。
事務所の片付けをして、避難所にいる利用者さんへのご飯作りしたり。
しばらくは夜勤体制に入るって。
でもアタシは16日から有休消化だからと
みんなが、気を使ってくれて夜勤はしないことに。
医療、福祉関係の世界は大変だと改めて思った。
今は有休消化中で家にこもりっきりです。
停電は、15日の朝に復旧しました。
水道は木曜日に復旧して、
今は普通の生活に戻りつつあります。
そして、
この地震を通して、
人の温かさが身に染みました。
沢山の友達が安否確認のメールをくれたり、
歌を送ってくれたり、
あゆのチャリティTシャツを代わりに購入してくれたり、
原発が心配で、もしもの時はうちにおいで!と言ってくれたり。
本当に友達がいて良かった。
本当にみんなの気持ちが嬉しくて、
泣いてばかりでした。
ありがとう(*^^*)
アタシの地元はそんなに被害にあるわけではないので
心配しないでください。
岩手、気仙沼、石巻、東松島、名取、亘理、南相馬、茨城
これらに比べたら全然いい方なんです。
だから、
アタシの心配はしなくてもいぃです。
この上記の被災地への支援をしてください。
募金も、物資もこの被災地へ送ってください。
買いだめやめてください。
本当に必要な所へ譲って下さい。
まだまだ、
余震とか原発などで不安はありますが、みんなと支え合って生きていきます。