イタリアに住む友人たちは、概ね7月から9月の間に1ヶ月程のバカンス休暇を取ります。
これはイタリア国内の法律で決められていて休暇を取らせない経営者は罰せられるそうです。
なんて素晴らしい法律!

日本も憲法変える前に、こっちの労働基準法を変えて欲しいなぁ、って私はショップ経営者だからどっちにしても夏の長期バカンスは夢のまた夢ですね。


$Rush Kunitachi blog
4月8日

一夜明けて晴天のフィレンツェ。


遅目の朝食をとり、Hちゃんと街歩きに出掛ける。
街は歩いていると汗ばむ程良い天気で世界中からの観光客で賑わっている。
ただ、日本人は殆ど見掛けない。

遅いお昼を中央市場で取ることに。
屋台のようなテーブル席でリゾット、サラダ、豚肉のお料理を注文しシェアして食べる。
有名なお店でいつもお客さんで一杯。
写真にも快く収まってくれました。


午後の買い付けはいつものシモネッタが担当のお店で、と思い行く前に確認したのに、何と!シモネッタは風邪でお休みとのこと
それはないわよ、シモネッタ!

しかし日程もきまっているし、変更は難しいのでタクシーで向かう。

車の中、何だか顔が暑くなる。

話し好きなイタリアーノ運転手に話し掛けられ(イタリア語が出来るのはHちゃんだけ)Hちゃんは気が付かないが私の鼻からは鼻血がどへーー~ーっと出ている。

店に着くなり車から飛び出し店の前のベンチに寝そべってティッシュで拭くも、
すぐに真っ赤になる。Hちゃんは横でオロオロしている。

その内、店の中からスタッフがトイレに設置されている手を拭くためのあのゴワゴワしている紙を持って来てくれる。
いや、そこはむしろトイレットペーパーにしてよ。

鼻に詰めようとするが硬いからやけに大きくなって鼻からチョークみたいに(Hちゃん談)
出ているらしい。さっきまで心配していたHちゃんは既に涙目で笑いをこらえている。

店内のトイレでトイレットペーパーに換えて止まったところで買い付け開始。

シモネッタがいないのは痛かったが、今回の担当のマリレナは英語が出来るのでコミュニケーションはむしろ楽なのだが、シモネッタの可愛い必死さが懐かしい。

3時間位の商材選びと、金額交渉の後、いつもの様にコーヒーを頂いてホテルへの帰路につく。

夜はフィレンツェの友人達とメキシコ料理のディナー。




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成田から12時間時計
飛行機は無事にローマ空港に到着。
ユーロ圏への入り口としてパスポートコントロールでスタンプを押してもらい、フィレンツェ行きのフライトを待つことにコーヒー

到着したときにはまだ明るく写真のような様子。

ジェラートやお茶を楽しんだ後、ゲートに向かうとすでにディレイ(遅延)の表示あせる
21時20分フライトの予定が既に22時20分になっているガーン
まあ、ディレイはよくあることだから、と国際空港とは思えないボロっボロの待合室の破れた椅子で待つことに。

しかし22時を過ぎても一向にボーディング(搭乗)の案内もなければバスバスも来ない。

隣に座る同行のHちゃんは「何だか嫌な予感がする…。」と言い出す。

思い立ってゲートにいるアリタリアの職員に詰め寄るが、国際空港の癖に英語が出来ないっ!!プンプンいや、イタリア語が出来ない私も悪いんだが…。
取り敢えず「フライト?ノットフライト?」と聞くと「のー!」…おいっビックリマークあせる

23時を回ったところでイタリア語のアナウンスヲを聞いた途端、楽器を持ったイタリア人の集団がイタリア人には珍しく暴動を起こしそうな勢いでカウンターに攻め込んでいる。
飛行機が一度飛ばないと言ったら飛ばないのがイタリアだ。
パイロットは残業しないからねDASH!

頑張れイタリア人ビックリマーク

訳も解らず推移を見守っている可哀想な日本からやって来た美女2人にひひ

暴れ出しそうなイタリア人はなぜか落ち着きバール(軽食スタンド)へと散って行く。

私達2人はフィレンツェ在住の友人に電話を掛けアリタリアの職員と電話を代わってもらい状況を聞く。

何とビックリマーク1時間後に飛ぶらしい\(^o^)/
あり得ないことだビックリマーク

しかもバールで食事を無料で取っても良いと…だから楽器を持った集団がそちらに大移動しているのか。彼らはビールビール片手に既にご機嫌だ。ちゃっかりしてるよ、イタリア人。
私たちもお腹はさほど空いていないのに何故かでっかいパニーニとコーラをゲットガーン
ちゃっかりしてるよ日本人ニコニコ

でもその他に座っている人たちには何も告げず職員は行ってしまったのは謎たガーン私たちが余程ひもじそうに見えたのか?


ともあれ飛行機は深夜1時過ぎにフィレンツェに到着。定宿のホテルも快くチェックインさせてくれた。

後でフィレンツェ在住の友人に聞くと、フライトが一緒だった楽器を持った集団は震災前に日本に来ていて、震災後演奏公演を取り止め、香港や中国などの公演だけをこなし、いよいよフィレンツェに帰国するフィレンツェの音楽家たちだったそうで「こんな大変な目に遇ってきた俺たちをまだ酷い目に遇わせるつもりかーー!」と暴動を起こしそうになったらしいのでやむを得ずアリタリア、飛行機を都合したらしいガーン
だからあの人たちが同じフライトでなければ残業しないイタリア人が飛行機を飛ばすはずもなかったのよね~ニコニコ

偶然とは言え、またもやギリギリセーフな旅の始まりだった。