今日は登校した息子。


担任の先生は研修に参加しているためか、
二日続きで午後の授業は、また自習。

自習になると、課題プリントを前に、
簡単なヒントが貰えたらなら解ける所も、
その手立てがないと、先に進めなくなることが、
苦痛になる息子。

分かる所から解くという柔軟な発想は、

彼にとったら、乱れるペースということになるのか?



そう。
なんとなく息子を見ていると、
テンポ良く進みたい欲求が強いのかな?と思う。
自分のテンポやリズムにこだわりがある。

皿回しやけん玉が好きなのは、

自分のリズムやテンポを捉えることが、

生かされる遊びだから。



昨日、なんとなくテレビのチャンネルを替えると、
リンゴを収納する木箱を作る職人さんの姿があった。
なんと、手作業で、金槌片手に箱を組み立てていく。


番組は、働く人のいる職場に取材に出向き、

働く人のお昼ご飯を紹介していく[サラメシ]



興味深かったのが、木箱作りにおいて、
釘を打つ金槌は、釘を打ち終えてもなお、
停止させることなくリズムを刻み、
次の釘を打ち込む間合いをはかり、
片手で釘を打ち付ける位置を確認する。
その繰り返しで、一つの箱が仕上がっていく。


職人さんによって、金槌で刻むリズムは異なり、
個々が持つリズムの違いが、
音となって、体の外へと広がり、

工場の中へと広がり、それぞれの耳へと届いていく。

自分のリズムに沿って仕事を進めていく職人さん。

50年という年月、木箱を作り続け、
今も箱を作ることが楽しいと言う。

見た目では、単純作業に見える工程も、
釘を打ち込む角度によって、

木箱の完成度が異なるそう。

その繊細な違いに、
毎度心新たに取り組む職人さんの姿に目を奪われた。

そして、自分の持つリズム感で仕事が出来ることが、

幸せなことだと知っている職人さんの笑顔。





ステレオタイプな言葉として聞かされる、

「社会に出たら、嫌なことも、やらなくちゃいけない」論。


本当にそうかな?と思う私がいる。


若い時には、自分が持ち合わせている特性を、

自己認識できていなかったり、

その業態で求められているスキルと、

自分の特性が符合しなかった時には、

嫌なことにぶち当たった経験が私にもある。



これまで働いてきた中で、一番切なかった仕事は、

中古本を買い取りして販売するチェーン店での仕事。

子どもを産んだ後に、一番最初に選んだパートだった。



本が好きな人は、ここで働けないと思った。

買い取りする本に、焼けがあると、

その本は買い取り出来ない。

お客さんが持ち帰るか、廃棄処分となっていく。

バックヤードには、廃棄処分の本が詰まった、

段ボールが高く積み上げられていく。



私個人が手元に残している本に、

焼けがあっても、大切にしている本がある。


焼けがあるからって、廃棄になってしまう切なさ。

そんなことにこだわりを見せていたら、

やはり、その職場にいることが息苦しくなっていく。


また、何かと作業スピードを求められる店だった。

店を取り仕切る店長の気質が、

店舗のカラーとして反映されていたのだろうけど、

その体育会系なノリが、私にはダメだった。


例えば、探している本を尋ねてくるお客さんに対し、

私は細やかに対応したいと思うものの、

店側から求められるのは、その時間よりも、

新たに商品補充にかける時間だった。

基本、小走りで店内を動いていた自分が、

今では嘘みたいだ。


そのお店で働くのは8か月が限界だった。


私が持つリズムと、企業が求めるリズムに違いがあった。

働くうちに掴み取れるリズムであれば、

働き続けることも可能。


でも、決定的に異なるリズムとなれば、

そこでの調和は難しくなっていくのだろう。



私が今やっている仕事も、

他人の排泄物を処理したり、

体の自由が利かなくなった方の入浴を手伝ったり、

ある人から見れば「嫌だな」と思う行為が含まれているだろう。


でも、私個人にとっては、

一人一人に向き合うことが許される、

その業態が、とても適していると思っている。

自分の持つリズムを維持できることは心地いい。



それぞれが、目に見えない形で持っている固有のリズム。

そこから職業を紐解いていくのは、

結構面白いことかもしれない。




誰しもが、苦手なことに対して、
「嫌だな」と感じる思いがありながら、
そこに蓋をして、その場をやり過ごす所、
蓋を出来ない息子を見ていると、

彼は彼のリズムを大切にしたいだけなんじゃないかと思う。


学校という集団生活の中では、

そのリズムを維持することが許されない場面が多い。


そのことに苦しさを抱えている。

じっとしていたくない気質。

でも、1時間という決まった時間内、

机に向かって座っていることが授業ならば、

息子にとっては、それが大きな苦痛なわけだ。


決して、新しいことを吸収していくことが嫌いなわけじゃない。

新規開拓は好きな方なんだから。




私の好きな岡本太郎さんは、

小学一年生の時に、

学校を四つも変わっているという。


太郎さんは言う。

「出る釘になれ。」

あえて出る釘になることを決意しなければ、

時代は開かれないと。


集団生活から時折抜け出して、

出る釘になることで、

息子は自己を開いていこうとしている。


そこに痛みはあるかもしれない。

でも、自分のリズムを無視することができない。

それが息子の姿。


その心を引っ込めるなと、私は応援したい。

集団から外れることを恐れない息子から、

勇気を教わっている。



学校に行けたらいい子?

学校に行けなかったら悪い子?


そんなことで、

子供一人の善し悪しなんて決まらない。



息子が登校した日。

私は「あ。今日は行くんだ~。」


息子が選んだ結果を見届ける。




思うように足が進まない日は、登校棄権。

棄権って言葉、息子が言い出した。

漢字なんて知らないはずなんだけどね 笑


確かに、教育を受ける権利を持っているのだから、

拒否ではなくて棄権だな。


学校に行くと言う権利をその日は棄てる。


登校棄権。


いいよね。



今日の午後、息子は早退して、受診です。

2回目の臨床検査を受けてきます。


これも世間と息子を、

橋渡しするためのツール作りみたいなもの。


彼が持っているものを輝かせるために、

得意なことを探していく行程です。




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岡本太郎 [青春の塔]

海洋堂 岡本太郎アートピースコレクション[第2集]より



これをガチャガチャで引き当てた朝、

テレビで百舌が獲物を木に刺す映像を息子と見てた。


作品解説にある言葉を引用させてもらえば、

串刺しは命を絶ち、同時に生き延びるための、

生と死をつなぐ技法。


串刺しにいていく青春時代の痛みは、

生きる糧そのものなんだ。