礼拝の日記ですが

あとで音楽のことを少し書きますので、

よろしくお願いいたします。

今日は、帰宅は早かったのですが

デジカメの調子が良くなくて

直していたので

ブログを書くのが遅くなりました。

画像は撮れなかったですが

教会のお茶会で

美味しいお野菜の炊き合わせ、おでんかしら、と

ぶどうと大福餅とおせんべいと

鈴カステラをいただきました。

お写真が撮れなかったのですが、と

牧師先生に申し上げたら

残念、とお返事がありました。

あら、

牧師先生は、もしかしたら

ブログをご覧になっていらっしゃるのかしら、と

思って、嬉しくなりました。

あと、マザー・テレサのお繋がりのカトリックの神父さんの本を

持っているのですが、とお話ししたら

勿論、構いません、と

おっしゃってくださいました。

今日は、教会のお茶会で

愛餐会ではなかったですが

美味しいご飯をいただいて

とても楽しかったです。

 

2024.09.15

聖霊降臨節第18主日礼拝

 

今日は、早起きして

時間に余裕を持って家を出ました。

蒸し暑かったので、

九月の半ばですが

リネンのパンツと洗いざらしのコットンのカットソーを

着て行きました。

歩道の白癬は、見やすくて歩きやすいのですが

点字ブロックが意外と足もとが危ないですので、

躓かないように気を付けて歩きました。

電車に乗って下りて

バスを待ってリトルマーメイドで

アイスコーヒーをいただきました。

デジカメが故障していなかったので、

画像を撮ってみました。

 

バスが来たので、

バスに乗って下りて

教会まで少しですが歩きました。

転ばないように気を付けながら

歩きました。

教会の十字架のアーチの門をくぐって

玄関のドアを開けて

手を消毒してノートに記名して

週報と献金袋を受け取って

靴を脱いでスリッパを履きました。

今日は、奏楽の先生はお休みで

神学生さんはご奉仕があって

お休みでした。

牧師先生のお連れ合いは、

試験がおありだそうで

お休みでした。

礼拝堂は五人、zoomは三人でした。

ヒムプレーヤーの前奏で

礼拝は始まりました。

招詞と、讃美歌と、主の祈りと

牧会祈祷のあとで

「内なる人を強める祈り」と

牧師先生の宣教がありました。

聖書は、エフェソの信徒への手紙3章14節から21節でした。

「エフェソ書は、パウロの獄中書簡の一つ。パウロが獄中にあって、

エフェソの教会に向けて書かれた。パウロは明日の身をもわからない危機的状況が

根底にあった。通常、このような時に人間を襲う危機は、絶望感、孤独感、

不安と恐怖、猜疑、精神の閉鎖、こうした救いようもない思いが支配する。だが、

このような状況で、神の奥義を示す。神の恵みはキリストにおいて満ち溢れる。

この神を讃えることだ。そして、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、

約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束に

あずかる者となることで(3章6節)、福音には異なる国々、異なる人間、宗教、

価値観、性質、その総意を乗り越え、相手を受容する力を示そうとします。」

「今日の箇所では、祈りについて4つの構成になっている。Ⅰ 14節祈る姿勢

Ⅱ 15節祈る相手 Ⅲ16節から19節パウロの祈りの内容 Ⅳ 20節から21節は、

頌栄と賛美となっています。Ⅰ カトリックの古い教会の椅子は、跪いて祈れるように

なっている。宗教画では、跪いて天に向かって祈っている絵をよく見ます。Ⅱ 天と地の

すべての家族にむけてとあるように、父なる神と子なる私たち、地上の『家族』であれ、

天上の『家族』であれ、すべての被造物は、根源なる創造者に由来する神に。Ⅲ 祈りの

内容ですが、どうか父が、その栄光の富に従い、御霊により、力をもってあなたがたの

内なる人を強くしてくださるようにとまず祈る。私たちは、普通、家内安全、健康や繁栄、

平和を祈ったりしませんか。ところが、パウロは「内なる人」が強くされることが

第一義とされている。この背景には、パウロ自身が体験した罪人からキリスト者を創造

する神の恵み。「四方から艱難を受けても窮しない。途方に暮れても行き詰らない。

迫害にあっても見捨てられない。倒されても滅びない。たとい私たちの外なる人は滅びても、

内なる人は日ごとに新しくされていく」(コリントの信徒への手紙Ⅱ4章8節から16節)

という人間観がある。また、「わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。

私は、飽くことにも飢えることにも富むことにも乏しいことにも、あるとあらゆる境遇に

処する秘訣を心得ている。わたしを強くしてくださる方によって、何事でもすることが

できる」(フィリピの信徒への手紙4章12節から13節)という内なる人の姿となるように

祈る。次に、「キリストがあなたがたの心の内に住み、あなたがたが愛に根差し、愛を基として

生活することを祈る。そこには、イエスのなされた言動を呼び起こす。例えば、イエスの例え話、

「良きサマリア人」(ルカによる福音書10章)「放蕩息子」(ルカによる福音書15章)

「ぶどう園と労働者」(マタイによる福音書20章)「迷い出た羊」(マタイによる福音書

18章)「仲間を赦さない家来」(マタイによる福音書18章)「タラントン」(マタイ

による福音書25章)など、神の国のイメージを膨らませる。愛され、赦され、そして、自分の

持つ力を存分に発揮する生き方へと導く。3 すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、深さを

理解することができるように祈る(18節)キリスト者も、生身の人間であって、ボロを内蔵し、

矛盾的存在で、罪のある者である。しかし、その救いがたい人間が、キリストの愛のゆえに、

赦され、「キリストを着る」(コロサイの信徒への手紙3章10節)ことによって、キリストの

聖に預かって聖徒と呼ばれる。従って、「すべての聖徒と共に」は、ここでは、キリストのからだなる

教会の「交わり」をさす。そのような信仰共同体として、キリストの愛の広さや長さや高さ、ふかさを

理解し、共有する仲間と場所となるように祈っている。4 また、人知をはるかに超えたキリストの

愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたがみたされるようにと最後に祈る。

これは、イエスの十字架の愛である。アガペーである。人間に理解できないほどの、未だかつて

人間の経験したこともないものであり、ただ御霊によって啓示された者のみが、信仰の触角で認識し、

理解し得るものとなる。その結果、パウロのこの信仰認識への祈りは、さらに私たちの心の中に

充満するように求める祈りへと進んで行く。まさに、神の恵みは、キリストにおいて、神の中に

滿っているもので満たされ、神を讃える者とされる。別の祈りを挙げるなら主の祈りであり、アッシジの

フランチェスコの平和の祈りかもしれない。」

長くなりますので

端折らせていただきました。

使徒信条と、讃美歌と、献金と、報告と、頌栄と、祝祷、後奏で

礼拝は終わりました。

礼拝のあとで

今日は、牧師先生のお連れ合いが

お休みだったのですが

牧師先生が、

今日は、たくさんありますよ、と

おっしゃって

お茶を配ってくださって

牧師先生のグループホームのスタッフの人が

差し入れしてくださったお野菜の炊き合わせと

大福餅などをいただきました。

お野菜の煮物は、おでん、でしょうか、

卵とだいこんとにんじんとお麩とこんぶが

入っていて

美味しゅうございました。

大福餅は二個ありましたので

おなかがいっぱいになりました。

今日は、皆さんは、定時制高校に付いての署名を

なさっていました。

教会のお茶会は、

一人でいただく日曜日のお茶とはまた違って

楽しいお茶会でした。

牧師先生がお車を出してくださって、

お茶会のあとで

後期高齢者の教会員さんと、わたしと

あとお一人を駅の近くまで

送ってくださいました。

説教と、美味しいご飯を

ありがとうございました、とお礼を申し上げて

お車を下りました。

下の画像は、朝、駅の近くで撮った桜の木と川の画像と

教会のお茶会の画像がなくて

済みませんが、

帰宅して、日曜日のお茶にしましょう、と思って

テーブルに並べたペットボトルのお茶ですが

麦茶と、先日と同じですが

冷蔵庫で冷やした葛まんじゅうの画像ですが

早く帰宅したので、

コーヒーを淹れたら良かったかしら、と

思いました。

 

音楽のブログは、

日曜日は、週報を書き写していると

文字数が気になりますので

短いブログですが、

よろしくお願いいたします。

 

一昨日は、辻井伸行さんのお誕生日

だったそうですので、

動画をブログに貼ってみました。

クラシックで良いでしょうか。

 

 

ジャズは、先日は、ビル・エヴァンスさんが

ブルーノート東京で

ライブコンサートをなさったそうですので、

動画をブログに貼ってみました。

 

ビル・エヴァンス、サックス

ティル・ブレナー、トランペット

ケヴィン・ヘイズ、キーボード

ジェームス・ジーナス、ベース

デイヴ・ウェックル、ドラムス(敬称略)

 

 

 

 

先日は、ジェフ・ダウンズさんのお誕生日

だったそうですので、

エイジアの動画を

ブログに貼ってみました。

 

 

先日は、ミッキー・ムーディさんのお誕生日

だったそうですので、

ホワイトスネイクの動画を

ブログに貼ってみました。

 

 

先日は、ジョー・ペリーさんのお誕生日

だったそうですので、

エアロスミスの動画を

ブログに貼ってみました。

 

 

先日は、イアン・アンダーソンさんのお誕生日

だったそうですので、

ジェスロ・タルの動画を探してみました。

 

 

先日は、ジョン・フィリップスさんのお誕生日

だったそうですので、

ママス&パパスの動画を

ブログに貼ってみました。

 

 

先日は、ラルフ・ヒュッターさんのお誕生日

だったそうですので、

クラフトワークの動画を

ブログに貼ってみました。

 

 

先日は、ジョーイ・テンペストさんのお誕生日

だったそうですので、

ヨーロッパの動画を

ブログに貼ってみました。

 

 

音楽のブログは以上ですが、

神父さんの文庫を少し

書き写してみました。

 

「苦しむ人の側に」

詩編146編6節から7節

とこしえにまことを守られる主は

虐げられている人のために裁きをし

飢えている人にパンをお与えになる。

 

「神さまは、どんなときでも

苦しむ人たちの側におられる方。

差別や偏見によって苦しめられている人、

貧困と飢えの中で死にかけている人を、

なんとしてでも救いたい。

それが神さまの望みなのです。」

 

「救いの証」

コリントの信徒への手紙Ⅰ3章3節

お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、

あなたがたは肉の人であり、

ただの人として歩んでいる、

ということになりはしませんか。

 

「互いをいたわり助け合う

謙遜で柔和な心こそ、

神に救われた人のしるし。

生き方によって、

救いを証できますように。」

 

礼拝の日記と音楽のブログをみてくださって、

ありがとうございました。

 

明日は、敬老の日ですね。

お年寄りを大切にしましょう。

 

良い教会があって

良い牧師先生がいらっしゃって

イエスさま、ありがとうございます、と

思いました。