2019年12月10日

忘れもしない日になった…。
朝起きてお布団から手を出そうと思ったら
手が胸に触れた…
『あれ?しかりかも…』

あの時の胸のざわつきが忘れられない。
いつもは、行かない病院に行った🏥

病院へ行く途中にも、、『まさか自分が乳がんになるわけがないなんて』と思っていた…

独身の私は、友達にLINEで『今乳がんだったらお嫁に行けないよ』なんて送ったりしていた。。

しかし、病院🏥につき触診をした時点でただ事でないことが分かった…マンモ、エコー、細胞診と続き…初め結果は、1週間後と言われたのに翌日病院に来て下さいと言われた時点で確信した。

病院🏥を出て親に電話して泣いた。
『たぶん、乳がんみたい。こんな娘でごめんね』って、、
母親も、『そんな事ないよ。私も、いつもかわってあげられなくてごめんね。大丈夫だから、何も気にしなくていい。今は、自分の事だけ考えてちゃんと治療しよう。』と泣いていた…
いつも心配かけてばかりだ…

お家帰ってからもずっと泣いていた…
これからの生活がどうなってしまうのか
不安でいっぱいだった…
会社のこと、友達のこと、恋愛のこと、お金のこと…たくさん考えなければならなかった…

『がんて私死んじゃうのかな…まだまだたくさんやりたいことある。やっと子宮筋腫の手術が終わって落ち着いたのに、今度はがんなの。なんで、なんで…私ばっかり。神様は意地悪だよね。私何か悪い事したのかな。幸せになっちゃいけないの…試練ばかり与えて…』

沢山調べすぎて手が腱鞘炎になった😂

翌日になり親と一緒に病院に行った🏥
『乳がんの可能性が高い』との事で、
大きな病院を紹介してもらった…

転院先での診断結果はやはり『乳がん』だった。

それからというもの…手術に向けてさまざまな検査をして、目まぐるしく過ぎていく12月、1月…

会社もたくさん休んだ😭
プロジェクトも降りた💦
たくさん迷惑をかけた…

でも、上司は、理解してくれた
たくさんお休みしても気にしなくていいと

検査を進めて手術日が決まるまでは
職場の人達に話さなかった

以前に子宮筋腫で2回手術しているので、
心配をかけていたみたいだった…
早く話せば良かったのかな…

当初の診断は…
ステージ1で、悪性度は低いとの事だった。
だから、抗がん剤をやらなくていいかもしれないと…🥺

2020年2月13日…手術
部分切除だっため、そんなに痛みはなかった
当日は、午後14時頃に手術予定だったが…
前の手術が押していて呼ばれたのは17時だった。今思えば夜の時間が少なくて良かったのかも😊
手術が終わり、無事に退院出来た😊

でも、喜ぶのは束の間…
私にはもう一つ考えなければならなかった…
それは、『卵子凍結』だ。
当初は必要ないと考えていたが、
様々な方のお話を聞き卵子凍結を行う事にした。
手術が終わり落ち着く間も無く、病院🏥探しを行った。私が通っている病院はがんセンターだったからだ…。毎日の注射で気が滅入りそうな日もあった…でも、応援してくれている人たちもいるので頑張れた。そして、無事に採卵が終了した。


そんなこんなしている間に、
乳がんの病理検査の結果が出た。
ステージ2、悪性度3

抗がん剤を行う事になった。

『若年性乳がんだし、悪性度高いと言うことは
より転移とか再発とかしやすいって事なんだ。。どこまでも神様は、意地悪だ。でも、絶対に負けない。こわいこともたくさんあるけど…頑張っていこう』私は、そう誓った。