〈悲観〉



息子の泣き声で目が覚める朝大泣き




昨日の夜はクッキーがなくて小パニックを起こした息子をなんとかなだめ、

みんな疲れ果てて眠りについたと思っていたのに、

あれ?

目が覚めてもまだ続いているじゃないか泣き笑い  

AM5:30泣き笑い

昨日の続き、

昨日よりもっと激しい今日の始まり爆弾




発音が不明瞭ながらも、わずかに話せるようになってきた息子。

話せるようになっても、色んなことができるようになっても、最近は素直に嬉しいと思えない。

だって、たとえ何ができてもできなくても、

それは悲しいことじゃない。


それより辛いのは、

パニックになって我を忘れて

大暴れしてしまうこと。

物を投げ飛ばしたり、

ママやパパを叩いたり引っ張ったりして、

激しく怒って叫ぶように泣いてしまうこと。



最近のいるちゃんは、

わかるようになればなるほどこだわりも強くなって、ちょっとしたことが嫌になって、怒ってパニックに繋がりやすくなってしまった真顔



こんなふうになってしまうのなら、

何も話せなくても、自分でできることがわずかであっても、昔のままの息子で良かったのに。



成長の遅れを嘆いていたわけじゃないのに。

できないことがたくさんあってもそれでも良かったのに。



落ち着いているときは

愛嬌があって、ひょうきんなところもあって、

簡単な日常会話もできて、私たちにとっては可愛い可愛い息子。



それなのに、ひとたびパニックになると、

内から溢れ出す怒りのパワーをどうしたらいいのか分からないというように、

何かにぶつけて暴れてしまう。

激しく泣いて暴れている姿を見るのは、

なんて辛いんだろう。



ふと、遠くない未来の姿がよぎる。

いつか強度行動障害になってしまうんじゃないか。

どうすればいいんだろう。

このままだと一緒には暮らせない。

家族の誰かが壊れちゃうんじゃないか。


今そんなことを考えても意味ないからやめて!

と夫に言われて我に帰った私。




このまま息子を連れて消えてしまったほうが

夫も娘も楽になるんじゃないかということを

何度も思ったことがある。

でも、それで私は楽になれても、

2人にはもっと深い傷を負わせることになる。

2人のためと言いながら、私が逃げたいだけなんだろう。





今日は泣きたい日だ。

悲しい日だ。

そんな雨の木曜日。