〈なんか凄いなと思ったこと〉





夫とは大学生のときからの付き合いで、

もう出会って15年が経ちました。

20歳になってからの時間を

ほとんど共に過ごしていると思うと、

なかなか濃いなぁと思います。



結婚したのは25歳、

その当時付き合っていたから

そのまま結婚するものだと

ただ思っていました。



娘が生まれてからケンカも増えて、

お互いの主張でぶつかって

もう一緒にいたくないとも

ケンカの最中は正直思ったこともありますが、

それでも15年経っても

仲良くやれていると思いますピンク薔薇

そして、

今はまた関係が一つ増えたというか。




夫が言っていました。


「もういまは同志だと思っている」と。


いるちゃんを一生背負っていく同志。


人生をかけてこの子たちを守っていく同士。





その言葉を聞いたとき、

いるちゃんのことを受け入れてくれている有り難さと、

そんなこと思わずに自由に生きていけたら良かったのにという思いと、

もっと安心して穏やかに過ごさせてあげたかったという思いと、


様々な思いを抱きました。

夫に対しても

娘に対しても

息子に対しても

「申し訳ないな」という思いは

いつになっても消えません。




いわゆる普通ではない人生のレールに共に乗せてしまって

緩くないコースに挑まなくてはいけなくなり、

申し訳ないと思いつつ

支えてもらうしかない。


運命を一緒に背負わせてしまったなぁと

思うことがあります。




ある夜のこと、

その日は夕食やお風呂が

穏やかに楽しくスムーズに済んで、

みんなでテレビを見て遊んでいると夫が


「なんかこれだけで凄い幸せ感じるよね」

とお酒を片手にしみじみと呟きました。

「ホッとできる瞬間が染み渡る」と。



私が感じているように

夫もそんな言葉を口にするようになるだなんて、

なんかかわいそうで、申し訳なくて、

切なくて、

でも有り難くて。



普段どれほど慌ただしく

わけ分かんなくなるような生活をしているのかと泣き笑い



朝から晩まで続く息子の動画のチャンネル係。

ちょっとしたことで怒って泣いて泣き止ませて、

暴れたときはどうにか被害を最小限に抑えるよう対応して、

落ち着いたと思ったらまた次には別の理由で泣いていて。

目を離せる瞬間がなくて、気を緩めることができない。

やっと寝てくれた頃には大人も疲れ果てている。



言葉にしてみれば

小さい子を育てている家庭の

どこにでもあるような日常の光景ですが、


そういう時もある。

ではなくて、

毎日が常にそういう時間。



言葉を話せない、

身辺自立ができていない子どもの身支度とお世話。

機嫌を損ねないよういつも気を遣って、

暴れられたときには身体にも心にも傷を負う。




きっと、こんな時間はいつまでも続くわけではないのでしょう。

息子も少しずつでも成長はしていて、

娘はいつか大人になって、

私たちも少しは打たれ強くなって、

いるちゃんは

福祉に頼りながらほんの少しでも社会に参加していけるようになって、


未来は今より少しでも軽やかになっていると

信じたい。

そうなるように生きていきたい。




前向きな諦めと

現実をただ受け入れるまっさらな心で。



「日々に挑む」という言葉が

しっくりくるようなそんなこの頃です。