今年になって隣の騒音が増えてきていました。

結構メンタルをやられてしまい、一時期は騒音が酷かった昔のようなメンタルに戻りかけてしまいました。


隣の家からの騒音が怖い。

この不安感が嫌で仕方ない。


その時に色々経て、ふとこう思ったんです。

この騒音を騒音だと感じるのではなく

生活音だと感じることができたらいいのに。


何故か夫は私が騒音だと感じる音を

騒音だとは感じていないんです。

(今現在の騒音)


ただ、音がする。

音が聞こえる。


音が大きいとか、うるさいとか、頻繁だとか

余計な観念?がセットにならない。

 

これをうらやましいなと思っていたんです。

自分もそうなれたら楽だなぁって。


それで実験してみることにしました。


その実験とは


騒音だと感じているこの音は


生活音がやや大きい位の音!


これくらい私は大丈夫!


と感じる私にこの瞬間からなった


とする実験です。



騒音への恐れがとても強い方は厳しい実験です。

なので無理して実験はしないでくださいね。




私は騒音自体が怖い。

騒音を聞いた時に受ける衝撃を恐れてる。


大きな音にビクッと反応して、不快になる。

心臓がバグバクしてきて、嫌だなぁって気分から

なかなか転換できなくなる。

この反応がもうつらい。

こう反応してしまうのが嫌。


なのでこの反応が変われればいいなと考えました。


感じ方は人それぞれですが、私も騒音をただの音だと

聞き取りたい。


できるのなら、そっちでいる方が楽ですよね!


こんな感じで始めた実験です。





いつものあの騒音を

大きな音だと捉えられるようになった(みたい)

とする。


騒音でしかないあの音を

大きな音と認定し

大きな音だけど

私は案外大丈夫(みたい)

とする。

(表現は自分ver.に変えて下さい)



これを繰り返していくと


大きな音でも耐性がある私

になった(みたい)

大きな音でもなんとも思わなくなった(みたい)


になってきます。


みたいと敢えてしているのは

それくらいの軽さでやってみるということです。




騒音への恐れを手放す。


そうは言っても手放せない。

そりゃ手放せたらどんなにいいか。

できたらいいけど。。。


という思考ではなく


手放すと決める


この思考にならないと、実験は上手くいかないと思います。



反応はしますよ、音に。

今までと何も変わらず大きな騒音だから。

ビクッとします。


その時は

【これくらいのビクッは大丈夫やん、私】

としています。


これ、大事です。


だって、決めた瞬間に私は変わったんです。

これくらい大丈夫だ感じる私になったんです。


とは言え、現実は1mmも変わってないです。

決めた私から変わる。

決めた私で在り続ける。


音に反応しても、これくらい大丈夫。

ドアバンにビクッとしても、これくらい大丈夫みたい。


そこで思考や感情で騒がない!


大丈夫みたい。

以上。


もうその音は過ぎ去った。

もう考えない。


もし考えてしまっても

『今のなし! 騒いでない! 冷静だし!』

とする。


ここで、『うるさいじゃん! ムカつく!』

『ああもうやだー!! 変わらないじゃん!』


と、どんどん気持ちがネガティブになるのなら

そこで実験終了です。


無理して実験することはないです。



騒音を長年耐えてきた私達には、多分出来るんです。

だって、その音(騒音)を何年も毎日聞いてきたから。

(聞かされてきたが正しいよね)


いつしかその音がすることが日常になり

慣れたくないのに慣れてしまい

その音を不快な騒音として

認定してしまっているんです。


するとその音は日毎に騒音らしい騒音として

あり続けるようになる。


当然、騒音を出し続ける騒音主も居続けることになる。


その騒音を聞いてますますその音を騒音として

不本意ながら確固たるものにしてしまう。


騒音であるならば、もちろん不快な気分です。

不快な気分も確固たるものになります。


こうして騒音だらけの現実が始まります。

騒音日常が続いていきます。




私は大きな音がそもそも怖いです。

そもそも怖い、、、本当に?

騒音だらけの日常で生活するうちに

大きな音がどこであれ、なんであれ

怖くなったんじゃない?


・・・そうかもしれない。


それって後からできた感性。

望みもしなかった感覚。

じゃあ変えていけるってことです。


こんな自問自答はよくしています。

これが思い込みの気づきになったりします。

それでこの実験をしてみることに繋がりました。




私がこの実験を始めて1ヶ月。


騒音はあります。

ドアバンにビクッともします。


が、淡々と【大きな音がしていた】と受け止めるようになってきました。


決めてなったからと言って、騒音が途端になくなるとか減るとかではないです。

ここはぐっと堪えてください。


反応を変えられた私になった。

今まで持っていた騒音への恐れを手放していく。


それが出来たら確実に気持ちが楽になります。

気持ちが楽になれば、気分が良い方へ変わってきます。

すると、現実が変わってきます。

(正確な実験結果はまた別で記事にします)


現実が変わるスピードと変化量は、私自身のそれと比例していると、他の実験から得た感覚で思っています。


現実が(騒音)が変わることを期待して

現実を見張らないこと!


これ大事です。


騒音がなくなって欲しい!

騒音がなくなったら

私は安心して

静かな暮らしができる。


その時の気分は?

表現は色々あれどいい気分です。


そのいい気分を増やしていくには

騒音への恐れを手放していくのも必要かな

と思っています。


私はまだ実験途中ですが、怖いって気持ちが弱くなってきました。


大きな音がしたら

【変われるチャンス!】

【チャンス到来!】などと前向きに捉えて

自分の感情を観察しています。


「嫌だなぁ」って思っても、以上。

ドアバンにビクッとして、「もうー!」と思っても

以上。


思考や感情で騒がない。

スパッと切る。

切り替える。

流す。

頭の中でその現状を蹴って宇宙の果てまで飛ばす。

など、あの手この手で騒がないようにする。


繰り返してやっていると、思考や感情か騒がなくなってきます。

時には騒ぎかけますよ!

でも、騒ぎかけで止める。

こんな時もあっても大丈夫ってする。


これが面倒、疲れる、無理してると感じるのなら

実験終了です。


無理してやることはないんです。


もしやってみようという方の参考になれば幸いです。


大丈夫!

と、いかに自分を信じられるかですね。




何度も書きますが、この実験は騒音でメンタルがやられている方には難しくて向きません。


時間がかかるかもしれませんが、全く違うやり方で

まずメンタルを徐々に戻してから実験した方がいいです。



この恐れを手放す実験が難しい場合は、先の記事の騒音とは関係のない実験で、現実が変わっていくのを体験するといいです。