なぜ騒音環境に私はいるのか?
↓
内面が騒音環境と同じだから。
内面が騒音環境と同じとは?
内面に
①騒音がある
②騒音を感じている時と同じ感情がある
③その前提がある
①私の内面に騒音がある
とは?
つまり、騒々しいんです。
私の場合
隣り近所に迷惑をかけたくない。
できれば仲良くやっていきたい。
いや、挨拶だけの関係でもいい。
穏やかに、何事もなく。
そう考えていると
私や家族の行動、出す音などにめっちゃ気を遣う。
シンプルにそれだけならいいんです。
例えば玄関先でちょっと大きな音を私が出す。
すると
あれ? 今の音大きかったかな?
迷惑だったかな?
でもさー、これどうやっても大きな音が出ちゃうんだよねー
ワザとじゃないんだけどさー
これくらいは大丈夫だよね?
ごめんねー、もう1回音出すよー
はいはいごめんねー
と、誰に言い訳してるのかわからない独り言が次々と浮かぶんです。
この言い訳思考が騒々しい。
こんな騒々しい思考をしていたことを、私は全く自覚していませんでした。
この騒々しい思考は、こちらが大きな音を出す時や、庭など外で何かやる時にやりがちでした。
②騒音を感じている時と同じ感情がある
これは前記事のように、同じ感情があったから。
理由はなんであれ、経緯はなんであれ
結果、不安や心配や苛立ちの感情を持っていたから。
それが【騒音】という現実を通して、同じ感情を体験することになった。
なぜ病気や事故などではなく、騒音なのか?
私は音に対してこの感情を抱いていたので、合点がいくんです。
③私の内面にその前提がある。
騒音を含めて、【いろんな人がいて、いろんな場面があるのだから多少は仕方ない】というような、常識や観念です。
・これだけの密集地、1人くらい変わった人がいてもおかしくはない。
・区域の規則とかをうるさく言ってくる人がいるかもしれない。
・もしかしたから、気に入らないところは出てくるかもしれないけど、多少のことは仕方ない。
・理想通りの完璧な環境なんてない。
・私はそもそもラッキーな方じゃない。
などなど。
常識があるような、許容しているような、悲観もあるような思い込み、前提。
私の場合は、道幅が狭いので迷惑駐車は懸念していました。
(まあ、それも見事に現実に現れたんですけどね)
360度家に囲まれた所なので、防犯面は安心はできるものの、隣り近所との建物の近さが気になっていました。
ということで!
私が騒音環境にいるのは、主に②の理由ですが
①や③もあるんですよね。
これ以外にも理由があるのかもしれません。
今わかるのはこれくらいです。
理由がわかるのも大事ですが
じゃあどうしたらいいの?
はもっと大事‼️
続きます。