昨晩、ふと引き寄せの法則で騒音を解決できないものかと考えていたことを思い出しました。
騒音ノイローゼになって、あれこれやっているうちに、引き寄せの法則を知りました。
まだ『エイブラハムの引き寄せの法則』という本が発売される前です。
えっとねー
引き寄せの法則から騒音を解決するのは、私には出来なかった
改めてググってみると、やっぱり無理だと思う。
はっ!とする文もあるんですよね。
例えば
騒音があるのは、あなたが意識的に或いは無意識的に誰かに『騒がしい』と感じる言動をしているから。
他人に配慮がないと感じる人が周りにいるのは、あなたが違う誰かに配慮が足りない、配慮するポイントが違うから。
えええ〜
ないわー。
いや、そうかもしれないけど。
私が気づかずしてそうしているのかもしれないけど。
ちょっと振り返ってはみるけど。
だとしても!
ないわー。
採用できない。
そう、私が引き寄せの法則で騒音現実を変えることをやめたのは、こういう例え?が多くて、読んでていい気分になれなかったから。
騒音が酷くなりかけた頃、引き寄せの法則を知ってめっちゃ自分を責めたよ。
反省もあらゆることにした。
騒音を引き寄せのは私だから。
(引き寄せたという表現は嫌いですが、あえて使う)
自分を責め続けても良くならないし、騒音は酷くなる一方。
自分を変えようとするけれど、引き寄せの法則が悪い方向にばかり効いてしまう。
ただでさえ自分に劣等感があるのに、騒音が起こったのは私のせい?と自分を責め続けて、メンタルがどんどん病んでいってしまった。
私には引き寄せの法則で騒音をなんとかすることは出来なかった。
じゃあ、なぜ騒音ノイローゼにまでなった騒音を軽減〜激減までさせられたのか?
現実創造とか宇宙理論を知ったからです。
(引き寄せの法則も宇宙理論と言えばそうだけど)
私は引き寄せという表現に囚われてしまうこと。
シンプルに引き寄せの法則だけから騒音を解決するには、私には無理があると感じました。
何度も言いますが、私は出来なかっただけです。
引き寄せの法則で騒音を解決できた方もいるようです。
アプローチと解釈の違いかな。
騒音が解決するならなんでもいいんだけどね。
(本音)