騒音環境下で、心穏やかにあるなんてことができない。


しばらくして、次に始めたことがノートに書くこと。

書くことは、騒音に感じることです。


騒音を出している一家達への怒り、不満、非難、説教。

そして、自身のつらさ、悲しみ、絶望。

これらを、毎日、騒音が聞こえてくる度に、何度でも書きました。

書き殴りです。


書く度に、全てを書きます。

午前中にそれは書いたから、今回は書かなくてもいいかぁ、、、


ではなく

毎回全力で全ての怒りと不満を書き殴ります


これを毎日何度も書き続けていきます。


手を使って文字を書き、目で文を見て、ペンを走らせる音を聞いていました。 

文字を書く、見る、音を聞く、紙やペンの触感を感じることは大事です。


書いた紙やノートはとりあえず、とっておきます。

後で見返す時が来ます。


紙に書いて、それが残ることがストレスになるのなら、すぐに破り捨てて構いません。


私は新聞広告の裏が白になっているもの、切り取ったカレンダーの裏面、100円ショップで買った落書き帳などに書いていました。

落書き帳は100枚綴りのものを、あっという間に5冊以上使い切ってしまいました。



何年も騒音に苦しみ、悩んできた私は、このことを人に言うことができませんでした。

口に出して言うのがもう怖かったんです。

騒音が頭の中で再生され、怒りと不満と悲しみでいっぱいになってしまう。


家族に対しても。

夫も隣の家の騒音には迷惑だと感じています。

しかし、私ほどではないのです。


専業主婦でいた頃は、ほとんど家に居たせいもあり、私の方が騒音に敏感に反応していました。

夫に騒音について何度も話しをしてしまうと、夫まで騒音に敏感になってしまいそうで、怖かったんですよね。

私のように、騒音にイライラする度合いが大きくなって欲しくなかったんです。


だから、テレビの音量はなんとなく上げていましたし、窓をあちこち閉めて、換気のタイミングにも1人で気を使っていました。

他にも色々騒音に対して、家族がそちらに注意を集中しないようにと、ずっと気を使いまくってました。

特に車の出入りが多くなり、恒例の洗車がある週末は、なるべく家族で外出するように働きかけていました。

だから余計に疲れていました。


1人、騒音ストレスを溜めに溜めて、溜め込んでいました。

その吐け口が書くことでした。


不満があり過ぎて、ものすごく集中して書けました。

書きながら、何度も涙が出てきたこともありました。

なんでこんな目に遭わなきゃならないのだろうと。


最初のうちは、何枚も書けます。

次第に、同じことを書いているという自覚で、あまり書けなくなっていきます。


その度に

こんなもんなんだ? 騒音のストレスって?

言いたいことはこれだけなんだ?

と自分に問います。


んなわけないわっ!!

と、また書き出すんです。


これを1年位続けました。

毎日書いていたのは半年位で、それ以降はその都度だったと思います。


半年も経たずに、気持ちに変化がありました。


「ホント、同じことの繰り返しだ」と。


騒音も同じことの繰り返し。

私の書き殴る、怒りや不満や悲しみも同じこと(内容)の繰り返し。


多少の変化やバリエーションはあっても、ベースは同じなんです。

騒音現状も、私の気分も。



そこで、バシャールの言葉を思い出します。


『現実が変わらないのは

 あなたが変わっていないから』


『現実が変わらないのは

 あなたが物理的現実から生じる感情を

 基準にしているからです』


ああ、確かに。

2度目の衝撃は、静かに起こりました。



現実は自分の内側の反映である


私は、まず現実が変わって欲しかった。

先に騒音がなくなって欲しかった。

でなければ、私は穏やかにはいられない。

この順番は絶対条件だと譲れなかった。


しかし、ノートに書くことで

いかに同じことを繰り返しているか?

現実も私も一向に変わらないんだ!?

と、改めてわかりました。


どちらも変わらない。

バシャールは、私が変わりなさいと言っている。


現実を変えたいと願ってきて、方法がわかっても、それは無理だと諦めていた。

もちろん、努力はしましたよ。

何度もした。

何度もやってみたけど、できなかった。

だって、聞こえるから。

テレビの音を大きくしても、イヤホンで音楽を聴いていても、掃除機をかけていても、聞こえてくる。

早朝の時もある、日中は言うに及ばず、深夜にだってある。

騒音があるのに、私が変われと言われてもできなかった。

どうしてもできなかったんです。

どうしても🥲


それでノートに愚痴を書き殴ってきました。

それを続けた半年頃、このままでは何も変わらないことを痛感したんです。


その辺りからノートに書くことが変わってきています。