大神神社の本殿でささっとお参りをすませ、こちらへ。
この奥にお水を汲める場所があって、ペットボトルに汲んでいきます。
ここからは、写真撮影は禁止。
飲食も、水意外はダメです。
お山自体が神聖な場所なのです。
自分に必要なメッセージが受け取れるようにお願いして、登り始めました。
頂上の磐座で、メッセージが受け取りやすいのだとか。
今回は10人とけっこう大所帯ですが、登るのは各自のペースで登りました。
最初は、草木にご挨拶したり、湧水の音、鳥の鳴き声に耳を澄ませながら
気持ちよく登っていました。
ふふっ、わたしも、がむしゃらに目的に向かって進むんじゃなくて余裕でてきたじゃない
なかなか調子いいわぁ~なんて調子こいてました。
ところが、、
だんだん、、、
息が上がってきて、、、、
く、く、苦しい~~~


あれぇ。。。前は、こんなに苦しかったっけ?
40代から、50代になると、恐ろしくガクッと落ちるのかしらん
それとも、、更年期だから??(何でも更年期のせいじゃないだろう)
思わず、降りてきていた人に聞きました。
「あと、どのくらいですか?」
そしたら、その女性が、
「まだ半分よりちょっと来たぐらいかな。
よかったら、この杖を使ってください。あるとないとでは違いますよ」
と親切に持っていた竹の杖をわたしに譲ってくれました。
「下りに必要なんじゃないんですか?」と言っても「大丈夫です」と。
よほど、しんどそうに映ったのかも知れません
せっかく親切にしていただいたのを無にしても、、と受け取ったのです。
その杖。。。。ほんまに、あるとないでは違いました
譲ってもらって良かった
急な勾配な坂道が続くとこでは、もう、足がもつれて、もつれて、、倒れそう。
その杖にすがりついて登りましたよ(笑)
それでも、足を止めることはあっても、座って休憩するというのは、いけないこと、屈辱だわ、、と思い込んでいました。ほんと、頑張るのよねぇ、、、、
そんな時、ふっと「休み休み登りなはれ。。。。」と浮かんできた。
えっ?
そしたら、これまた、ふっと目に留まった、座るのに最適な小さな石。
どうぞ、座りなさいと言わんばかり。
観念して、その石に腰を下ろして座って休憩しました。
登山は人生と同じとよく言われますが、ほんとにそうですね~~。
生きていると、なかなか途中で腰を下ろして座って休憩することが出来ないもの。
他の人に追い抜かれるんじゃないかとか遅れを取ってしまうんじゃないかとか。
でも、、思い切って休む勇気も必要なことなんですよね。
それを教えてもらいました。
自分ひとりで歩くのが困難な時は、手を差し伸べてくれた人の助けを借りてもいいし。(そもそも、自分ひとりで生きることなんて出来ない)
で、今度は、必要としている人に、それを渡してあげて。
足が上がらなくて、全体重を杖に預けて登る所もあったけれど、その一番大変な道を過ぎると、頂上までは、平坦な道。
すがりついていた(笑)杖も必要なくなって、ふふん
と歩けます。
あぁ、やっと到着です
やったぁ~
上に着いたら、同じように他人から杖を譲ってもらった人がもう一人いて。
「これからは他力(他人の力)を借りろってことですよね。」
「そうですね、そして、それをどう使うか。。。ですね」
「ほんと、そうですね」
下山の途中、智恵先生が
「降りるのは楽でしょ?」と言われるので
「超楽ですぅ~~~」と答えると
「人生もそうなのよ。来た道は安心だし楽に思えるでしょ。魂は、そのことを
わかっているの。だから不安や心配せずに楽々と生きたらいいのよ」
なるほど。。。。
もう人生、折り返し地点を過ぎているし、もう頑張らないで楽に行きたいわっ
三輪山の神様からのメッセージは、なんか、そうなのか自分の思いつきなのか
よくわからないというのが本当の所だけど、そんなん、別に、どうでもいいわって思えます。
自分が、そう思ったなら、それが正解ってことで
何が降りてきたのかは内緒ね
ただ、下山の途中「また来年ねぇ~~」って浮かんだんですけど。。。。。
老体に鞭打って、また登るんでしょうか?(涙)
きっと、、、登るんだろうなぁ。。。。
写真の真ん中ぐらいに、うっすら見える大きな鳥居。
小高い丘から見た景色は、神話の世界のようでした。
iPhoneからの投稿