いろいろと気がついたことがあります。
家族と離れ誰一人自分を知る人のいない場所で住んでみると‥。
今まで、「しがらみ」だと思っていた人間関係がとても愛おしくそして感謝すべきものだったということに気がつきます。
それまでは、自分にとって具合の悪い面ばかりに焦点を当て、もっとこうしてくれたらいいのに、ああしろ、こうしろ。。。あげくのはてに、わずらわしい、邪魔くさい、とか‥。
帰国後は親、兄弟、友人、その他もろもろ自分とかかわってくれている人たちに、感謝の気持ちを言葉や態度で表すようになりました。そしたら、今はストレスフリー。とっても楽チンです。
この人と繋いでおくと将来得かな?とか、損得勘定でない本当に自分が大切に思う人達にエネルギーを注いでいるほうが、心も喜ぶ感じ
隣近所の人だって趣味の集まりの仲間だって自分の周りにいてくれる人って、ほんとに大切。
嫌な面のある人は、ただ、そんな面のある人って思ってます。
物事には必ず表と裏がコインのように表裏一体、良い面と悪い面がセットになっているから、いいとこ取りなんてできないのよね~。
あと、フレンドリーで物事をはっきり言う外国人とのつきあいで、自分が嫌なら嫌だとはっきり表明したほうがつきあいやすいし楽なんだとわかってはいたものの‥。。
クラスを変わったとき、「あなたは楽しいの?」とレベルうんぬんより自分がどう思ったのかを問われました。
話すのが早くで聞き取れない時も、終わってから言うと「なぜ、その時に言わないの?でないとわからないよ」
何かに参加するかどうかというときも「あなたが来たいと思ったら来ればいいよ」とその場の役割よりも自分の感情や考えを優先してOKという場面に出くわしました。
自分はどうしたい?
自分はどう思っているの?
それを言葉に出して表現することを要求されるのです。
日本ではそれを押さえて周りと協調することを要求されることが多いです。
でも必要以上に自分を抑えていると、開放することさえできなくなってしまうのではないでしょうか?
いろんな立場、役割を背負っている時でも優等生でなくてもいいんですよね。
もちろん、自分の嫌いなことはしないというのは単なるわがままでしかありませんが。
それからトラブルは当たり前という感覚が養われたかも知れません。
外国で住むと、日本の常識で物事を押し通すことができません。
トラブルが起きるたびに「あぁ、あたしってツイてない」とか言ってる時間的余裕がないんです。
とにかく、なけなしの知恵をかき集めてトラブル解決に当りました。
トイレの水が流れない、電球が切れた、病院の予約が取れていない、かぎが開かない‥etc
あとは孤独感かな。
学校が終わってみんな帰国した後や、夜、一人で宿題してる時なんかめっちゃ寂しかった
じっくり孤独感を味わうと、人の温かさにじ~んとくるし、ま、みんないろんな形で孤独を抱えてるのよね~と認めることができると、人と会って話をすることの嬉しさも倍増
あ~、ありがたいなぁ~なんて思っちゃう。
心がオープンになると、何もかも自分で抱え込んで苦しまずに済む様になると思います。
見える形、見えない形で、いろんな人が自分を支えてくれるから。
これからは、今までのお返しに相手が必要としていたら、そっと手をさしのべてあげられるような‥
器の広い人になりたい。
I ate lunch todays special with my friends at Itayado.
Todays special lunch is fish,rice, miso soup, fry gyoza and salad,and 4 small dishs
Price was 700 yen.
After lunch we got coffee plus 100 yen.
there are a lot of cheap and delicious restaurant at Itayado!