お久しぶりの投稿ですが残念なお知らせになってしまいます。
先週の水曜日の晩、母が亡くなりました。
私が最後に母に会ったのは、1週間前の月曜日の夕方。前日の打ち上げ花火を母は家の2階の窓から終わるまでずっと観ていたそうで、私に「花火綺麗やった」と話しかけてくれました。私も近くまで花火を観に行ってたので母と同じ花火を観てたんだな。別れ際に「次は木曜日やね」と母がいい(ちゃんと次に会う予定の曜日を覚えてくれていたことが嬉しかった)
「うん、次は木曜日にね」と明るくバイバイしました。
水曜日の17時過ぎ買い物から帰り道、救急車の音がしました。どこから聞こえてるのかわからなかったけど、家の駐車場に入る直前にバックミラーで救急車を確認しました。
後から知りました。
まさかその救急車で母が搬送されてたなんて。
母は最近、元気になってきたので、1人で入浴していたのですが、その日、お風呂からなかなか上がって来ないので父が様子を見に行ったら、母は湯船に顔を浸けてしまっていました。
父は泣きながら、救急隊員が来るまで、指示に従って名前を呼んだり、よくわからない心臓マッサージをしてみたけど。
その時にもうダメだったのだと思いますが、病院で人工呼吸器を付け、心臓を動かす薬を入れて、心臓を動かしている状態。
19時過ぎに父から電話があり、病院に駆けつけました。
変わり果てた母の姿、妹と一緒に泣きながら「お母さん」と呼び、手を握ったり頭を撫でたりしたけれど。
16日21時11分、母は息を引き取りました。
そこからは怒涛の日々。
突然のことで全く気持ちも追いつかないけれど、深夜に葬祭会館に移動。父と妹と私は葬儀の説明を受け、朝まで母の隣で寝たけれど、ほとんど眠れませんでした。
妹と交代で葬祭会館に泊まりました。
合間に喪服も買いに行きました。
亡くなった日の自分の行動を思い出して、あの時はまだ母が生きていたのに、こんなことになるなら母の側に飛んで行きたかったのに、と時間を巻き戻したかった。
甘いケーキが大好きだった母、食は落ちてたけど、スイーツやサンドイッチが大好きで、母が認知症になってから毎日のように「もちこさんと食べたい」とスイーツを買ってくるので、一緒に食べていたら体重が3キロくらい増えてしまった。
最近はダイエットだから、と母と高カロリーのスイーツはあまり食べないようにしていけれど、母の好きなスイーツもっと一緒に食べたかったな。
5月に一緒にお店で食べたパフェ、私はミニサイズで、母は普通サイズ。
トイレに連れて行くのも大変で、手を繋いでいたけれど、母が厨房?の中を母が突っ切っていたので「すみません、すみません」と謝りながら。身体も小さくて、手も弱々しく細くなった母の手の感触、覚えているのにな。
認知症の症状が落ち着いてきて元気になっていた母だけど、今月に入ってからはなんだか苦しそうでした。
亡くなる1週間前、突然、母が私に泣きながら電話をかけてして(父がかけてくれたそうです)
「最近、物が失くなる。(←認知症の症状が顕著になってきました)結婚指輪も補聴器もタオルもなくなった。買い物に行ってる間にお義母さん(私の祖母)が盗みに来てるみたい。嫁いできて50年、辛いことのほうが多かった」と
辛いことのほうが多かったと言われ、私も辛くなったけれど
母の話を聞いてあげて、おばあちゃんが盗むのは違うろと思いながらも否定はせずに「またひょっこり見つかるかもしれいないね!大丈夫、大丈夫」くらいしか話せなかった
一昨日がお通夜で、昨日が葬儀でした。
母に手紙を書いて、お棺の中に母の胸元に入れたけれど、私、上手く気持ちが伝えられんかったかな。伝わってたらいいんだけど。
母に20代の頃は心配かけてごめんねと謝った。
自分が親になってわかる、こんなに心配してたんだと。
娘達は7月におばあちゃんと一緒にランチに行ってました。
母は喋ることもなかったけど、最後に父が会計してるのをソファーに座って待ってる時「2人がそっくりやね」と母が笑ってくれました。
母、とても辛そうだったけど、もう苦しまなくていいからね。
天国でゆっくり休んでね。
お母さん、今まで不安な気持ちもある中、私達を育ててくれてありがとう。
私にとってたった1人のかけがえのない母でした。
生まれてからずっと母がいたのに、これからは母のいない人生。
葬儀までは気が張っていたけれど、母のいない実家に行ったら、また寂しさが込み上げそうです。
父の側にいたいのに、葬儀の後、高熱と咳で寝込んでしまった私。コロナの心配もあるので今日は実家に行けないので心配。
生前、ブログでもよく母の話を聞いていただき、ありがとうございました。
簡潔にまとめられなくて長くなってごめんなさい。
お読みいただきありがとうございました。
