何かを積み重ねようとしたときに
いつも不思議なことがあった

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スピリチュアルな感受性が
大きく大きく開いた、という体験を何度もしてきました


人が好きで、感じるということの大切さを深めるため、かのように
いろんな仕事や、いろんなアプローチを積み重ねる中、

もちろん、
誰かのためや、なにかのため、と「考えた」こともあります

けどそれって、
天からしたら、エラく傲慢なこと
だったりもするんだな、と感じています

なぜなら、その身体、その性質、
「そう」あることは、

既に選ばれて
「そう」生まれることが出来た、わたし達だから



与えられた奇跡を
生きている

たくさんの不思議体験を視て、体験した中で
一番、一番、こころに残っている感動は
しみじみと「そう」かんじることでした


深い瞑想体験を通して感覚を超えた時、
意識を超えて大きく繋がった時、
もちろん、もっと小さくも
たくさんの体験をしてきましたが、

そんな大きなチカラが発揮されたときに
一番感覚していたものは【居心地よさ】
でした

身体が無理をしているとき、
必ずどこかに力が入ります

vol.1でも書きましたが、
生命にとって、それほど『やめて欲しいこと』はありません


だって、その手
その足

その生命は


誰に与えられたものですか?



そんなバランスの悪い身体の使い方をして
ひとは力を発揮できるほど優れた生き物でしょうか


つづく