昨日から一気にカルテを読んでいます。
真夜中も時間を忘れて読みました。
まだ全てではないけど、半分以上には
目を通しました。

どんどん具合が悪くなっていった様子を
私も思い出し、涙なしでは読めません。


昨日書いたように、2月初めには既に
病院側では
『この病院で看取りも視野に…』などの
記載がありました。

そして、娘のその頃の気持ちを聞いた
看護師さんの記録の中に娘の言葉があり、
「最期は…家で過ごしたい」と。

{BEF6225C-A97A-4005-BA37-CB5D8FB2EDEB}
自分の最期を2月には看護師さんに
話していたことを知りました。
「この治療(最後の抗がん剤治療)に
賭けたいけれど、これが終わったら
死ぬのを待つってことになりますよね。
脳転移して放射線治療(全脳照射)に
なったことで、諦めがつきました。」と
話したそうです。
涙ぐむことなく、しっかり前を向いて
話をしていた、との記載も。
2月には、覚悟をしていたのです。

娘が自分の余命を医師から知らされた
4月に全てを知ったのだと思っていたので
2月のその頃、元気を装っていた姿が
目に浮かび、涙が止まりませんでした。



そして、あんなに望んでいた
『家に帰って自分のベッドで寝る』
『家で最期を過ごす』
『週末に外泊して帰り道に
ディズニーランドの花火を見る』
どれも叶えてやれなかった…


全てカルテに残っています。
望んでいたこと。
やりたいこと。
お母さんの涙を見て、辛かったこと。


ごめんねって謝って欲しくないの、
分かってるよ。
でも、言わせて。
叶えてやれなくてごめん。


涙が止まりません。