昨日から一気にカルテを読んでいます。
真夜中も時間を忘れて読みました。
まだ全てではないけど、半分以上には
目を通しました。
どんどん具合が悪くなっていった様子を
私も思い出し、涙なしでは読めません。
昨日書いたように、2月初めには既に
病院側では
『この病院で看取りも視野に…』などの
記載がありました。
そして、娘のその頃の気持ちを聞いた
看護師さんの記録の中に娘の言葉があり、
「最期は…家で過ごしたい」と。
自分の最期を2月には看護師さんに
話していたことを知りました。
「この治療(最後の抗がん剤治療)に
賭けたいけれど、これが終わったら
死ぬのを待つってことになりますよね。
脳転移して放射線治療(全脳照射)に
なったことで、諦めがつきました。」と
話したそうです。
涙ぐむことなく、しっかり前を向いて
話をしていた、との記載も。
2月には、覚悟をしていたのです。
娘が自分の余命を医師から知らされた
4月に全てを知ったのだと思っていたので
2月のその頃、元気を装っていた姿が
目に浮かび、涙が止まりませんでした。
そして、あんなに望んでいた
『家に帰って自分のベッドで寝る』
『家で最期を過ごす』
『週末に外泊して帰り道に
ディズニーランドの花火を見る』
どれも叶えてやれなかった…
全てカルテに残っています。
望んでいたこと。
やりたいこと。
お母さんの涙を見て、辛かったこと。
ごめんねって謝って欲しくないの、
分かってるよ。
でも、言わせて。
叶えてやれなくてごめん。
涙が止まりません。