ダンナとの初デートの日、別れの挨拶と握手の時に大きな予感のようなものを感じた私。
そして毎日のメール交換を通して、ゆっくりと確実に何かが変わろうとし始めていました。
まだ当時の私には分からなかった、そして目には見えないもの。
それが確かに動き出していたのです。
そして後日迎えた、2回目のデートは遊園地でした。
早くも、もう変化が。
それは2回目のデートにして、もう最初っから筆談用のノートはいらなかったのです。
そのことについて示し合わせていたわけではありません。
アトラクションに乗るのだから邪魔だったかもしれませんが、何よりも、ちゃんとお互いにもう口話で会話を交わせるようになっていたのです。
あんなに筆談にこだわっていたのは何だったのでしょうか(笑)
聞き返すことはあるけれど、それでもスムーズに会話ができた方じゃないかと思います。
そして、アトラクションは私たちを童心に返らせてくれるから、二人とも素を出したように大はしゃぎで楽しみました。
そしてアトラクションが落ち着くと、私たちはたくさんお話をするようになっていました。
お互いのお仕事のことだったり、近況だったり。
炎天下、よくもまあ、あそこまで外で長い時間話せたものだと今でも感心しますが(笑)
暑さにたまりかねて時々、目の前にあったマイナス30℃のアイスワールドに出入りしてはしっかり話を交わしていました。
たくさん言葉があふれてくるという感じで、とにかくよく笑ったりしていました。
本当に会話が楽しくて延々と続くくらいで、たとえ沈黙があったとしてもすぐにまた話し出していたのではないか。
とにかく、ずっとたくさん話していたい、とお互いそう思っていたようでした。
Tさん以外で、こんなにたくさん話が弾むのはダンナが初めてでした。
そして自分でも意外だったのは。
まだ2回目なのに、もう早くも彼に手をつないでほしいと願っていたんです。
さすがにまだ照れくさくて自分からは言い出せなかったのですが(笑)
それくらい、私は彼との距離をもっと縮めたいと思うようになっていたみたいです。
もっと、彼を近くに感じるようになりたい。
それ以降は忙しい時間の合間を縫って、ドライブデートも多かったです。
車は三重県の彼の実家にあったので、会う前日に彼が仕事帰りにそこまで戻って車に乗り、そこからまた大阪に戻ってきて私と合流するというパターンが常でした。
結構ハードだったと思うのですが、ダンナもまだ体力的にも気力的にも大丈夫だったのでしょう(笑)
ドライブであちこち行きましたが、その中で楽しいと思ったのは。
当時カーナビもスマホもなかったし、初めて行く場所が多いから道もよくわからない。
それで助手席に座っていた私が、地図を見ながらそれなりにナビの役目を果たしたんです。
楽しくしゃべりながら地図を見て、あっちだこっちだと言い合って。
何だか二人で協力し合って進んでいるという感じが嬉しかったのです。
このドライブとナビのことを通して、二人でやっていくことの楽しさを学べたのかもしれません。
2人でなら力を合わせてやっていけそうだと感じたのだと思います。
そして、このダンナだったからこそ、ハプニングに遭遇したことがありながらも楽しめたのだと思います。
彼の仕事はまだ忙しかったので頻繁にデートができたわけではないけれど、メールのやりとりは本当に毎日それこそ何通も。
結構お互い打ち解けてきて、内容もしゃべり方もすごくラフになっています。
当時は、ダンナがホラー話を持ち出してよく私を怖がらせようとするほどまでになっていました(笑)
こうなってきて、実はまだ縁の切れていなかったあのBさんとはもう本当に終わりにしなければと焦りを感じました。
明らかに私の心はダンナに傾いている。
もうダンナのことしか考えたくなかったのです。
どう考えても進展はあり得なさそうなのに、Bさんがどうしてそこまで固執するのか、全く理解できませんでした。
もしかすると、彼が初めて会えた女性が私だったから、もう次はないと思ってのことだったのか。
それはわかりませんが、とにかくもう一度会ってほしいと彼は食い下がってきました。
その時、私は嫌な予感がしました。
もし仕方なくもう一度会ったとしたら、それこそ指輪でも渡されかねないと思うくらいの勢いだったのです。
今この人のことで困っているとすでにダンナには泣きながら打ち明けていて、彼もしっかりとそんな私を受け止めようとしてくれました。
自分についてきてほしい、そんなことを言ってくれたような気もします。
間違いなくダンナも私を想ってくれている、そんな確信はあったのです。
それでもそんな年下の男性の勢いに負けそうになっていたのですが、実際に会う前に。
メールのやり取りの中で私は何か失念したようで、おとなしかったように見えていた彼を怒らせました。
メールで彼は激しい怒りと失望をぶつけてきました。
私はそれを受け止めましたが、どこかで心が冷静でした。
失念をして怒らせたことは悪かったかもしれませんが、だからといって彼の機嫌を取り直したいとも思いませんでした。
だからそのことを伝えた上で、本当にお断りのハガキを発送する手続きを取りました。
最後はどうなったか具体的にはよく思い出せませんが、これでようやく本当に彼との縁が切れました。
多分、もうぷつりとも何も言ってこなかったと思います。
私はこれでふんぎりをつけ、改めてダンナに向き合います。
数回のデートそして毎日オンパレードのメールのやり取り。
そんな中で急速に私たちは仲を深めていきました。
最初はもどかしく手をつないでほしいと思っていたのが、ゆうにそれ以上に進展もできました。
会えばいつも何かの話題で話が弾み、必ず手をつなぎ、しっかりとお互いの心の距離をぐんぐんと縮めていきました。
そして、私は強く確信したのです。
この人となら、失恋の痛手を乗り越えられる。
この人となら、何があってもやっていける。
決して揺らぎはしない、確かな確信、想いだったのです。
婚活を再開した時、本当は不安だったし、怖かった。
本当に失恋の痛手を乗り越えられるのか、そんなイメージも湧かなかった。
もうあんな思いは嫌だと、新しい恋を始めようと思うことに逃げ出したくなりそうな時もあった。
でも、やはり心のどこかでわかっていたのです。
このままではだめだと。
繰り返しになるのですが、あきらめてはいけないと思ったのです。
このままだと、また以前の日々に戻ってしまうから。
何かを変えなければいけないと思った。
そして、私はTさんとの破局後、自分に誓っていました。
もう無理に背伸びをするのはやめる。
自分の気持ちはちゃんと自分から伝える。
このことを、新しい彼ができたらそうしたいと思っていました。
ダンナとは、無理に背伸びどころか、本当に等身大の自分になれました。
彼は、初対面の直後だったか、とある重要な秘密を私に打ち明けてくれていました。
それは今も私だけが知ることなのですが、まだ出会って日も浅い私のことを信じて打ち明けてくれたということ。
それが、彼を信じていこうという決め手の一つにもなったのです。
おそらく彼はその重要な秘密を打ち明けてくれるのに勇気が要ったはず。
私は、その秘密をちゃんと受け止められる自信がありました。
私にその勇気を出してくれたことがとても嬉しかった。
私はその事に応えたかったのです。
そして、あの誓いを果たそうと思いました。
自分の気持ちを自分から伝えるということ。
出会ってから2ヶ月が経ったある日、京都駅の屋上で一緒に夜景を見ました。
最初は何か別の話をしていたのですが、その途中で私のこの決心を伝えるタイミングが訪れたのです。
私は彼を見つめながら、しっかりとこう伝えました。
「あなたとこれからも共に、一緒にやって生きていきたい」
これまでの想いを全て込めて、自分なりに勇気を出して告白しました。
そして彼の返事は、
「これからも一緒にやっていこうね」
という答えでした。
そこには「結婚」もありきたりなプロポーズらしい言葉はなかったと思います。
こう書くととてもシンプルなように見えると思いますが、私たちの心が初めてしっかりと結ばれた瞬間でした。
ともに未来へと歩んで行くと決め、この人が人生の伴侶となると決めた瞬間。
別々の時期に入会し、出会った人も経験も違っていた私たち。
住む場所も離れすぎていて、普通ならばすれ違いさえもあり得ない。
そんな私たちがこの婚活で共通していたのは、「結婚」というゴールをしっかりと目指していたこと。
だから、私たちの目の前にはもうそのゴールしか見えなかった。
一緒に結婚し、これから人生を共に歩んでいくのだ。
お互いその想いがあったから、改めて「結婚」という言葉をわざわざ出さなくても、もう分かり合えていたのです。
出会ってこの結婚の約束をするまでの間、たった2ヶ月。
人から見れば「スピード婚」とも見られたこともありましたが、自分自身はそうは思っていないです。
入会してから休会期間も含めて1年半が経っていたから。
これまでのいろんな経験の末に、やっとつかめた幸せだから。
長い時間をかけてやっと幸せがつかめたのだという感慨があります。
本当にこれで、長い婚活が終わりを告げた瞬間でした。
この日から、私たちは一緒に住む家を探し、そして結婚式を挙げるという目標のために進むことになるのです。
まだ相変わらず会える日は少なかったのですが、私は両親とともに引っ越しなどの準備をしたり。
ダンナとはメールでも結婚式について意見を交わし合ったりと。
そして交際をスタートしてから5ヶ月目に新居に引っ越し。
それから2か月後に入籍、少し遅れて結婚式を挙げることを実現しました。
結婚式は、披露宴が嫌いだった私たちなのでハワイで二人だけの式を挙げました。
そして、結婚してからの私。
恋人同士として過ごしていた期間がとても短かったので、まだまだお互い知らなかったことが多すぎて。
ここからが本当にお互いを分かり合う、理解し合う、長い寄り添いの日々の始まりでした。
それはまたのお話。
ところで、覚えて下さっていますでしょうか?
Tさんと交際中、幸せな気持ちのあまりにダークな私が生まれたこと。
それにより、一気に破局へと向かったこと。
実は、ダンナと結婚生活をしてしばらく月日が経った頃から、再出現し始めました。
あの頃ほどではないけれど、再び現れたやはりダークな私はダンナに初めての一面を見せたり、ネガティブになったり。
特にダンナと何か意見の違いがあったり、少しお互いがイライラしていたりとかした時は、とても暗く怖い気持ちになりました。
ダンナは私を見捨てるのかも。
もう離婚になるのかな。
ダンナに「嫌いだ」と言われるかもしれない。
今度こそ本当に終わりなのか、何か言われるかもしれない。
そんな不安や恐れが何度もよぎっていたのですが、どれも全く現実のものにはなりませんでした。
ダンナはごく普通に、何でもないことのようにどんな私でも受け止め。
そして持ち前のポジティブさ、楽観さで、私のそのネガティブな思いをごとごとく否定し消し去ってくれたのです。
だんなのその自然な姿に私は、少しずつしっかりと確信を得ていきます。
この人は絶対に私を見捨てない。
どんな私を見せたとしても、ちゃんと受け止めてくれる。
この人は何があっても私を否定したりしない。
絶対に別れるようなことはあり得ない。
そうなったら私よりももっと傷つき泣くのは、実は彼の方なのだと。
彼に決して捨てられることはあり得ないと、魂の底から信じられるようになっていくにつれて。
ダークな私は、静かにゆっくりと眠りにつきました。
そして、どんな私でもありだ!というくらいの、まさに「ありのまま」としか言いようがないくらいの私が生まれたのです。
彼の前でこそ、ちゃんと素の自分が出せます。
ようやく私は、どんな自分でも思いきりさらけ出せる、心から安心できる居場所を見つけたのです。
お互いにしか分かり得ないような実にユニークなコミュニケーションを築き上げてきたおかげで、今もすっかり退屈しておりません(笑)
さて、実はまだまだ、話の続きがありますので(笑)
よろしければ、次回ももうしばらくお付き合い下さい♪
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