皆さん、こんばんは
山田るり子です。
本日から、本のような形で、私のこれまでのヒストリーと、
様々な経験から学んだ思考を連載して執筆して参ります。
毎日1話ずつ、更新していく予定です。宜しくお願い致します
さて、それでは、生い立ちからです。
第1章 生い立ち
1話 誕生
です。
父と母は、共にダンスが趣味であり、ダンスフロアで出会ったそうです。
当時珍しいスーパーカーを乗り回していたイケイケのモテモテだったらしい父親が、
純粋すぎる程の母親に一目惚れをしたそうです。
出会ったその日の夜、たまたま母が近所のお友達と二人でいたという事もあり、自宅まで送ってもらう事に。
その後、父は毎日待ち伏せし送迎するという強引なアタックを繰り返し、半年後結婚したそうです。
(今だとストーカーのような・・・・)
そんな父は、祖父に憧れて陸上自衛隊に入り、幹部をしており、企業の専務としても働いておりました。
『震災があった時など、日本を守るんだ。』 とか、
『継続は力なり』 とか、
『努力に勝る天才なし』
こういった言葉を常にメモにして持ち歩いており、私に色々話して教えてくれました。
また、『やられたら、倍にしてやり返せ!』など。。
父のこうした男気のある強い性格が、現在の私にも受け継がれているんだと思います。
時に厳しく、時に優しく。と私に厳しさと優しさを教えてくれました。
そして母は、子育をしながら、正社員として経理を長年しておりました。
母親は結婚前、家事を一切やらなかったようで、親戚からも、結婚して1カ月後実家に帰ってきて嘆かなかったら、逆立ちする。と言われていた程だそうです。
(にしても、例えが古いですが)
そんな母親も結構後は、家族4人分の毎日朝食をつくり、お弁当も作り、洗濯をして、掃除をして、
子供達を送り出し、仕事に行き、仕事後お迎え、夕食、片づけ、父との晩酌と本当に今思えば大変だったと思います。
私からすると、想像もできないスーパーウーマンだったな。と、心から尊敬しております。
母は、本当に真っ直ぐで不器用。気も強いが、お人よしでお節介で自分よりも家族の為に尽くし、ゆえに
過保護で心配性な弱い一面があるが優しい。
でも、本当にたくさんの愛情で包んでくれて誰よりもいつまでも私を想ってくれています。
そして、 やたら目を大きく開けている2個上の兄は(笑)
よくケンカもしておりましたが、とても仲が良くなんだかんんだ優しい兄でした。
私の近所にはあまり同級生の女の子がいなかったので、兄にくっつきまわっていた記憶があります。
兄は、余程めんどくさかったのでしょう。
『もう、着いて来ないでよぉ~、あっちいけ!』っと、言われておりました。
ですが、兄の同級生の男子には、年下の女の子という事もあったかいつも可愛がってもらっていました。
その頃から、自然に甘える癖が付いていたのかもしれません(笑)
そう、小さいころから両親にも、兄にも、親戚にも本当に甘えん坊で生粋の末っ子気質だったようです。
また意外かもしれまんが、保育園に行くまでは、泣き虫で寂しがり屋で神経質な性格で、
保育園に行っても大丈夫なのかなぁ。と母親は少し心配していたと聞いた事があります。
以上
保育園時代 へ続く