あけましておめでとうございます 

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます

 

 

通所中の方には既にお知らせしていますが、先月からルリカラに非常勤の先生2名が新たに加わっています。

一人は中学校・小学校の支援級、一人は特別支援学校(小・中・高)の教員OGです。

 

福祉と教育の連携が大切にもかかわらずなかなか容易でない中、教員のキャリアを持つ方の力を借りられることは、支援の引き出しを豊かにする意味でも、また、進路について具体的な情報やアドバイスを得る意味でも貴重と考えていました。実際この1か月、私はよい影響を受けていると感じています。

 

支援をより充実させられるよう、試行錯誤を重ねながら前進したいと考えております。

本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

 

↑このサイトから動画がみられるほか、資料のダウンロードもできます。

 

 

動画配信が今日までなのですが、先ほどみつけて、ぜひご紹介したいと思いました。

伊丹昌一教授(梅花女子大学心理子ども学部心理学科)の講演の動画です。

 

公開期間が今日までなので、とりいそぎおすすめ部分をお伝えします。

おすすめ箇所→【32:00頃からの約5分間】

キーワード→【学習性無力感を予防】【RTIモデル】

 

発達に特性があり、学習につまずきのある子の支援に関して、とても大切なことを話されています。

お時間のある方はぜひご覧ください。

 

ルリカラのオープン当初は「学校の宿題も対応します」という言い方をしていましたが、現在は、「学校の宿題を持ってきてください」とお願いすることが多くなっています。

宿題を通じて、現在学校で学習している内容や、どのような配慮がされているのかなどが分かるからというのが主な理由です。

また、学習に気持ちが向きにくいお子さんでも、学校の宿題は「やらなくちゃ」という思いを持っておられるので、学習に向かうよいきっかけとなっています。

そして、子供にとってこれほど大きな存在であるからこそ、宿題というものについて、考えさせられます。

 

例えば小学校の「漢字ドリル」の宿題。漢字ノートを埋め尽くすように繰り返し書く方式が一般的のようですが、書くことが苦手なお子さんには苦痛が大きすぎて、字を学ぶどころではなくなってしまう場合もあります。また、文字の形をとらえることが苦手なお子さんの場合には、間違った字を何度も書いてしまうことにもなりかねません。また、ともすると「ノートを埋める」ことが目的のようになってしまって、単なる作業としてこなすだけになってしまうかもしれません。

方法は一つに限らず、「漢字を正しく覚えること」そのものを宿題と言ってくれたらいいのになぁと思います。

方法の選択肢として「繰り返し書く」ももちろんありですが、そのほかにも「1回だけ大きく丁寧に書く」とか、「その字を使った言葉で文を作る」とか、「反対の意味の字を調べる」「似ている字と比べる」など、漢字をよく知り、覚えるための方法をいくつも提示したうえで「どれでもOK」というスタンスがよいのではと思います。

 

いろいろな学習方法を「自主学習」として行うのもよいのですが、子供にとって「宿題」というものが学習のモチベーションにかかわる大きな存在であることを考えると、宿題自体が目的本位で、手段に幅やバリエーションが設けられていてほしい、と願う次第です。

でも現在はまだ宿題に幅がないことも多いかと思うので、「自主学習」で何をしようかなあと迷っておられる方には、「宿題のバリエーションを自分用に考える」こともおすすめしたいです。

学生の頃、小さな塾の講師のアルバイトをしたときの思い出です。

そこのオーナー先生は、生徒に楽しく勉強させる達人でした。

生徒は中学生で、授業形式と自習形式の時間がありました。いつでも生徒が「わからない」と質問することをとても奨励していました。

質問が出ると、先生は「そうか!わからないのか!えらいな!よく言った!どうわからないんだ?」と、すごくほめながら聞いてくれるので、生徒は嬉々として質問していました。

「わからない」 = 「チャンスをゲットした!」 

という感じなのです。

 

 

<わからないとき、間違えたときが、いちばん勉強になるとき。>

この「いちばん勉強になる場面」を私も大切に思っています。そして、それ以前にも、「チャンスをゲット」の場面がいくつもあると、このごろ感じています。

 

「いつもよりも長く集中できた」「いつもよりも調子よく宿題ができた」「苦手でやりたくなかった科目の勉強をやってみた」など、苦手と思っていたことに何かポンと、はずみがついた感じ。

そのような場面を全ての方に持っていただけるようにと思っています。

半分、親バカの話です。

うちの娘・・・、例えるならこんな感じなんです

(注)こういう服装はしていません

 

そんな服どこに行ったら買えるの?と言われるようなファンシーな服を着て、かわいいでしょ??って平気で言える(実際には、発語はほとんどなく専らジェスチャーとオリジナルボイスでアピール)タイプ。ダウン症ですが、本人、困ってないし、なんなら人助けしたいと思ってる。幸せキャラ。

 

彼女を見て「いいな」と思うことのひとつは、「できる/できない」の世界で生きてないところです。

「○○ができなければダメ」

「○○を持っていなければ幸せじゃない」

みたいな世界で生きてない(できないこと、持っていないものをしのごの言わず、いま自分でゲットできる幸せをあらゆる手を使って追求する)ので、彼女を見ていると、幸せとは、心ひとつで今すぐなれるものなんだと分かります。

持ってるものは多くはないけれどフルに活用して、自分のハッピーを追求し続けた結果、行く先々で「あの子に会うと楽しい」と思ってもらえているようで、家族以外の人に何かポジティブな影響があるなら、それだけで彼女の存在イケてると思います。

 

保育所のころ、「いつしゃべれるようになるの?」とよくお友達から質問を受けました。

いつかも分からんし、そもそもしゃべれるようになるかも分からんし。という感じでした。実際、現在もほとんどしゃべれないので、たぶん流暢な日本語を話すことはないんだろうなーと思いますが、その頃も現在も、だからといって特に困ったこともなかったので、心配に思ったことはありません。(しゃべれたほうが便利とは思うので、そのための支援は続けています。。)

そう思えたのは、ダウン症のため、できないことがわりと多いということが分かっていたからだと思います。

でもそのうち、娘を見て感じたことは、よく考えると、究極は誰でもそうなのでは??と思えてきました。

 

結局、今できるかできないかということには、あまり意味はないのではないか。そのうちできるかもしれないし。そして、ずっとできなかったとしても、どうしてもできなければならないことは、そんなに多くはないみたいだし。

 

いわゆる「わかりにくい障害」である発達障害タイプの場合(息子や私を含む)、「(いま)できる/できない」を考え過ぎてしまいがちなので、いろいろ大変で心配なわけですが、つきつめると「できなくてもなんとかすればよい」「成長すればいい」「ハッピーが大事」と思います。

 

「なんとかする」スキルは、娘はかなり高いと思います。私はまだまだですがその生きざまに感心しながら生きています。

できてなくてもできてるイメージで堂々とやってのけるからいい練習になる。できた子の成功を心底喜ぶ。やりたいことのためなら笑顔でヘルプをゲット。できる範囲で人助け。

この子は幸せに生きていけるな、心配いらないなー、と思っています。

 

 

我が子を思えばこそ心配は尽きないのが親心、の一方で、こんな心境を共有いただけたらと思った次第です。