半分、親バカの話です。
うちの娘・・・、例えるならこんな感じなんです
(注)こういう服装はしていません
そんな服どこに行ったら買えるの?と言われるようなファンシーな服を着て、かわいいでしょ??って平気で言える(実際には、発語はほとんどなく専らジェスチャーとオリジナルボイスでアピール)タイプ。ダウン症ですが、本人、困ってないし、なんなら人助けしたいと思ってる。幸せキャラ。
彼女を見て「いいな」と思うことのひとつは、「できる/できない」の世界で生きてないところです。
「○○ができなければダメ」
「○○を持っていなければ幸せじゃない」
みたいな世界で生きてない(できないこと、持っていないものをしのごの言わず、いま自分でゲットできる幸せをあらゆる手を使って追求する)ので、彼女を見ていると、幸せとは、心ひとつで今すぐなれるものなんだと分かります。
持ってるものは多くはないけれどフルに活用して、自分のハッピーを追求し続けた結果、行く先々で「あの子に会うと楽しい」と思ってもらえているようで、家族以外の人に何かポジティブな影響があるなら、それだけで彼女の存在イケてると思います。
保育所のころ、「いつしゃべれるようになるの?」とよくお友達から質問を受けました。
いつかも分からんし、そもそもしゃべれるようになるかも分からんし。という感じでした。実際、現在もほとんどしゃべれないので、たぶん流暢な日本語を話すことはないんだろうなーと思いますが、その頃も現在も、だからといって特に困ったこともなかったので、心配に思ったことはありません。(しゃべれたほうが便利とは思うので、そのための支援は続けています。。)
そう思えたのは、ダウン症のため、できないことがわりと多いということが分かっていたからだと思います。
でもそのうち、娘を見て感じたことは、よく考えると、究極は誰でもそうなのでは??と思えてきました。
結局、今できるかできないかということには、あまり意味はないのではないか。そのうちできるかもしれないし。そして、ずっとできなかったとしても、どうしてもできなければならないことは、そんなに多くはないみたいだし。
いわゆる「わかりにくい障害」である発達障害タイプの場合(息子や私を含む)、「(いま)できる/できない」を考え過ぎてしまいがちなので、いろいろ大変で心配なわけですが、つきつめると「できなくてもなんとかすればよい」「成長すればいい」「ハッピーが大事」と思います。
「なんとかする」スキルは、娘はかなり高いと思います。私はまだまだですがその生きざまに感心しながら生きています。
できてなくてもできてるイメージで堂々とやってのけるからいい練習になる。できた子の成功を心底喜ぶ。やりたいことのためなら笑顔でヘルプをゲット。できる範囲で人助け。
この子は幸せに生きていけるな、心配いらないなー、と思っています。
我が子を思えばこそ心配は尽きないのが親心、の一方で、こんな心境を共有いただけたらと思った次第です。