「思う通りになった世界で、何を学んだのかい?」
「ちっとも思う通りの世界になんてなってないよ!」
「悪いが、人間である君に聴いてないんだ。スピリットである君に聴いてるんだよ。」
自分の思う通りの現実世界で生きていないのに、それがわたしの望んだ世界だと言われても納得などできません。
悔しいことだらけだし、辛いし、いつもお金に苦労するし、人間関係がうまくいかなくて悩んでいるのに、それが、わたしの思う通りの現実世界だなんて、納得などできません。
わたしが望んでいるのは、毎日楽しくて、笑っていて、お金の苦労もなくて、いつもたくさんの人たちが周りにいるような、そんな世界を望んでいるのに、そうはなっていないのに、わたしが既に思う通りの現実世界で生きているなどと言われても、納得できません。
そう思っていました。
でも、実際には、思う通りの世界で生きています。
その世界で生きると選択しているのは、わたしだったのです。
基準は、人間のわたしではなかったのです。
スピリットのわたしが、基準になっています。
今、人間であるわたしが、悔しい思いをしているとしたら、
スピリットとして、悔しい思いを体験することができたわけです。
人間であるわたしは、悔しいという感情に翻弄されます。
「あの人が、あんなことを言うから、わたしはこんな悔しい思いをしているのだ。」
と捉え、そのまま悔しい世界で生き、その悔しさを誰かに聞いてもらったり、悔しい思いを頭の中で思いめぐらし、どんどんと、あの人のことを嫌いになり、どんどんと自分の生きている世界を嫌いになり、どんどんと誰かを責め、自分を責めるという幻想世界で生きることになります。
スピリットとしては、その体験で、悔しい思いをしたのは、学びの大チャンスなわけです。
課題が投下され、その課題を解けば、成長できるというシステムが存在していますから、悔しいという感情に翻弄されている場合ではない。
“悔しいという思いは、どんな時に感じるんだ?”
“バカにされた時や自分を評価してくれなかった時だなぁ”
“じゃあわたしは、本当にあの仕事を納得いくまでやったのか?”
“そうか、わたしは、めんどくさいと、中途半端な仕事をしたことを、わたしはわかってる。わたしがいい加減な仕事をしていたのを見透かされたように感じたから、悔しいという感情が湧いてきたんだ。”
“わかった。これからは納得いく仕事をする。”
「する。」「やる。」と自分が意識で決定したことは、必ずその方向へ動きます。
「悔しい」という体験は、しなくなります。
たとえ、「悔しい」という体験を、今後したとしても、自分を誤魔化さない方向へ動きますから、その体験はしなくなります。
「悔しい」という体験が、わたしをまた一つ、成長させてくれます。
仕事をやり切る。
納得いく仕事をする。
そんな人が、評価されないわけがないのです。
「不快な感情」を味わった時、そこには必ず課題が隠されています。
思う通りにならない世界は、思う通りになる世界へと反転することができます。
やがて、この修正機能は、自分の持つ、
魂の羅針盤の上に乗るための方法だったとわかります。
ピアノで言えば、調律です。
不快な感情を体験したのは、この光の道からズレたことを教えてくれています。
この光の道から、かなりかけ離れた場所にいる場合は、今世で戻ることは困難です。
それでも、今世、この光の道の近くに行けばいくほど、来世での人生のシナリオは変わってきます。
自我の世界で色々な体験をし、感情を味わっていたのは、この魂の羅針盤の上に乗るための修正方法だったとわかる日がきます。