わたしが観ている現実が、わたしにとって不快な現実であったり、イヤな現実であったり、辛い現実であったりすると、この現実を変えたいと思います。
現実を変えたいので、今までやらなかったことをやってみたり、言えなかったことを言ってみたりと、思いつく方法を、2つか3つ、やってみます。
ところが、思ったようにはいきません。
結局、疲れてしまって、現実は何も変わらないのだと、諦めてしまいます。
何故なら、宇宙の『理』にかなっていないからです。
イメージで言えば、
毎日使ってる時計や、スマホやパソコンの調子が悪くなったけど、そのしくみを知らないから直せないことと同じです。
不快な思いをしたその瞬間、課題が投下されています。
この課題を解いてしまえば、現実世界は変わります。
現実世界が変わるというと、「一気にお金持ちになれるのか」とか、途方もない変化を望むかもしれませんが、
そうではなく、今、不快に思ったその瞬間の現実が変わっていきます。
課題 = 気づき でもあります。
「ハッ」 と、何かに気づいたことで、
さっきまで、「NO!」と言われていたことが、「YES!」に変わってしまうような変化です。
この世界は、イメージで言えば
次元の積み重なり、層のようになっています。
今、わたしが、一番下の層の次元にいるとします。
ここで悩んでいることがあるとすると、ここには答えがないわけです。
でも、二番目の層の次元には答えがある。
一番下の次元の層から、二番目の次元の層に行くには、課題を解く必要があります。
塾のクラス分けみたいなものです。
この問題が解けた人は、Aクラスへ、解けなかった人はBクラスで勉強し直してね。みたいなイメージです。
解かない限り、Aクラスには行けない。= 上の次元には行けない。= 答えが出ていない。
答が見つかったときに、課題がわかります。
課題が投下された愛図は、不快な気持ちです。
不快な気持ちを感じた時、その不快な感情の中に入り込むのではなく、
「何がわたしを不快にしてるんだ?」
と、わたしに意識を向けていきます。
答は、鏡の法則の中にあります。
わたしには観えない部分が、現実を遣って観せてくれています。
わたしには観えない部分。それが答えです。
試行錯誤しながらでも、その答えをみつけることに一生懸命になると、
段々コツを掴むことができるようになり、現実が変化していることがわかるようになります。
ほんの少しの変化、誰にもわからないような変化。
その変化を見つけることができるのは、わたししかいません。
何故なら、その世界は、わたしの世界だからです。
現実世界は、全てが結果です。
まだ、現実になっていない未来は、結果になる前の段階で、目には観えません。
現実に結果として現れたものを変えることは不可能です。
現実になる前に、変えていきます。
そのチャンスのタイミングが、日常に感じている、『不快』です。
放置すればするほど、不快は大きくなっていきます。
今、この瞬間を見逃さないことです。
1㎜でも不快を感じたら、『ゼロ』に戻していきます。
「めんどくさいなぁ」
「適当でいいだろう。」
「どうでもいいや。」
その積み重ねたエネルギーは、必ず還ってきます。
現実を変えることは可能です。
何も、わたしの性格を変えたりする必要はありません。
わたしは、わたしのままでいい。
わたしにくっついた、『自我』に気づいていくことです。
『自我』を嫌う必要も、『自我』から逃げる必要もありません。
ただ、その『自我』を持っていた。
それだけのことです。
何かに拘ってる。
何かに執着してる。
ただ、それだけのことです。
課題を解いていけば、現実は変わります。
この体験を繰り返すことで、どんどん次元上昇していきます。
どんどん、思う通りの世界になっていきます。
まぁ、一回、やってみなはれ