願いは、叶ってしまいます。
でも、そのわたしの願いが叶うために、どれだけの人が関わってくれていたかなんて、
思いもしませんでした。
願いは、叶ってしまいます。
願いとは、わたしが心底信じていることです。
「きっと、こうなるに違いない。」
そう思っていれば、必ず、そうなります。
『心底』とは、1㎜の疑いもない状態です。
「そう思うようにしよう」レベルではなく、根拠のない自信。
「愛しているよ。」と恋人に言葉にして言われているのに、何故かそうは思えない。
「愛しているよ。」と言葉では言ってくれないけど、疑う余地もないほど、愛してくれているのがわかる。
両方とも、根拠のない自信です。
根拠のない自信は、無意識レベルの方が遥かに多い。
当たり前のように思っていますから、自信もなにも、「そうなるでしょ」レベルです。
自我を手放せば手放すほど、願いは叶いやすくなります。
自我の世界は、二元性なので、
表側の「願い」には、裏側の「ない」が存在していますから、「ない」が優位になってしまいます。
でも、そんなしくみを知りませんでしたから、
いつも願いが叶って欲しいと思っていました。
それは、わたしが心地良ければいい。
それは、わたしだけが得をすればいい。
そんな想いがありました。
それでも、宇宙の法則に乗っかってしまえば、願いは叶ってしまいます。
「わ~いわ~い
と、ほらね、宇宙のしくみを遣えば、願いは叶うんだよぉ」と、
自分の願いが叶ったことばかりを喜んでいましたが、
その願いが叶うために、どれだけの人が、どれだけの想いを持って、どれだけ一生懸命になってくれていたのかということを、
今になって気づきました。
自我の世界にいた時、
何も与えてもいないのに、欲しい欲しいと願っていたわたし。
宇宙の法則は、1㎜の狂いもありません。
完全なる平等で、
いい人だから法則が遣えるとか、悪い人だから法則が遣えないとか、そんなことは一切関係がありません。
何も与えていなければ、何も得られない。
与えるとは、観えるモノではなく、意識のことです。
物を与えていれば、得られるわけではありません。
願いが叶うという恩恵を受け取った時、
いつかどこかで、どんなことかはわかりませんが、
わたしも与えていたのかもしれませんが、
どれだけの人が、そこに関わってくれていたのかと思うと、
この感謝の重さは、半端ない。
この感謝を、再び還したい。
今のわたしは、それが願いです。