自我は、待つことがとても苦手です。

 

 

「今すぐ、それをして!」

 

「やるか、やらないのか、直ぐに返事して!」

 

自分の思い通りにならないことは、赦せません。

 

 

 

自分にとって、とても嬉しい話しがあったとき、その結果が直ぐに知りたくて、

 

「あの話し、どうなってんの?」

 

と、聞きたがる。

 

 

 

自分にとって、とてもイヤな話しを聞いた時も、その結果が直ぐに知りたくて、

 

「あの話し、どうなってんの?」

 

と、聞きたがる。

 

 

 

今思えば、わたしが動けば、この現実を変えられると、大きな大きな錯覚をしていました。

 

 

 

 

みなさんは、こんな体験をしたことがありませんか?

 

 

自分にとって、すんごく嬉しい話しがあって、それはまだ決定ではない状態の時に、

 

誰かにその話しをすると、その嬉しい話しが、無かったことになってしまうという体験。

 

 

わたしは、何度かあります。

 

どんなことだったかは、忘れてしまいましたが、その体験を何度か繰り返したことで、

 

「望むことが叶おうとしているときは、絶対に誰にも言わない。」ことにしています。

 

その結果、望むことが叶いました。

 

 

誰かに言っていても、叶っていたかもしれませんが、それは結果論で、

 

誰にも言わないことを選択したタイムラインと、

 

誰かに言うことを選択したタイムラインは、

 

もうその選択を決定した時点で、未来は変わってしまいます。

 

 

 

 

自分が望む願いを叶えたい時のコツがあります。

 

それは、何もしないことです。

 

願ったら、何もしない。

 

 

 

困ったことに、自我優位だと、これがなかなかできません。

 

待てないんです。

 

色々采配しようとします。

 

 

 

「あの人に電話をかけて、今、どんな状況か聞いてみようか。」

 

「知り合いに頼んで、その話しが上手くいくように頼んでもらおうか。」

 

そんなふうに、いじくりまわしてしまいます。

 

 

 

 

望む願いが叶う時というのは、

 

今、わたしがいる現実世界は何も変わりません。

 

でも、そこへ助っ人がやってきて、願いが叶ってしまう。

 

 

わたしは、その助っ人に、一言も、わたしが望んでいることなど話してもいません。

 

初対面の時もあります。

 

それなのに、今までわたしがやってきたことと、見事に繋がって、助っ人がやってきます。

 

 

 

そんな采配、誰がしてくれていると思います?

 

 

 

最近、やっと『宇宙に委ねる』ことができるようになりました。

 

 

「宇宙」とは、意識の世界のことです。

 

 

その宇宙は、わたしが何を考え、何を望み、どんな想いをもって、どんな行動をしているのかを全て知っています。

 

それは、わたしだけではなく、あの人のことも、この人のことも、あちらの人のことも、全てです。

 

その莫大な情報を、まるでマッチングアプリのように、会わせてくれます。

 

それは、人だけでなく、物や知識、とにかく、さまざまなモノです。

 

 

 

 

 

自我優位の時は、とても願いが叶いにくかったなと思います。

 

何故なら自我は、自分中心ですから、

 

Aが嫌いだから、Bを願うというような願い方、いわゆる相反することを思っているため、

 

プラスマイナス「0」みたいになって、どちらにも動かない。= 願いは叶わない。

 

 

 

Aが嫌いだから。 = 否定

 

Bになりたい = 肯定

 

 

今、自分が観ている現実から逃げたいとか、めんどくさいからやりたくないとか、そういう否定と、望みは、相反する。ということです。

 

 

 

「今の現実のまま、どうしたらその願いが叶うのか、わたしにはわからないから教えて欲しいの。どんな方法であっても、全てお任せして、その方法を受け入れます。」

 

 

望むことというのは、「やりたいこと」でもあります。

 

宇宙は、「わたしがやりたいこと」ということに、とても応援してくれます。

 

見栄を張るためでもなく、誰かに言われたことでもなく、

 

「わたしがやりたいと思うこと。」

 

 

 

スポーツの選手をみればわかると思いますが、そのスポーツを、本気でやりたいと思っている人には、必ず家族や企業、スポンサーなど、助っ人がやってきて、応援してくれます。

 

 

わたしのような、おばさんにでも、宇宙は平等に采配してくれます。

 

人間意識からすれば、「そんなわがまま、聞いてくれるわけないじゃない。」と思えるようなことであっても、

 

「わたしがやりたいこと」に、必ず助っ人をみつけてくれます。

 

 

 

そうやって、宇宙が采配してくれているのに、わたしが勝手に動くとどうなるか。

 

せっかく揃おうとしていたピースが、崩れてしまうんです。

 

 

 

 

「結果」という観える形になったときには、もうそれは動かすことはできません。

 

人は、観えたモノが、自分に都合が悪いモノであると、それを何とか動かそうとしますが、

 

それは、この世界では不可能です。

 

 

「結果」になる前なら動かすことはできます。

 

ただ、それは望みを叶える為のことではなく、

 

わたしの目の前にある現実を、一生懸命に生きることです。

 

 

 

今、わたしの目の前に起こった現実に対し、わたしがどんな選択をし、どんな想いを持って、どんな行動をしているかも、全て宇宙は知っています。

 

願いだけが叶えばいいんだと、目の前の現実から逃げる選択をしていれば、それも宇宙は知っています。

 

 

 

 

全てのパズルが組み合わさるには、その望みによって時間が違います。

 

家を建てるには、半年近く時間がいりますし、インスタントラーメンを食べたいなら3分で願いが叶うように、

 

願ったら、何もしないことです。

 

 

宇宙の采配を、完全に信じれるかどうか、それも観られています。

 

 

願いが叶うタイミングは、願いを忘れたころにやってきます。