唐突ですが・・・
わたし、目が小さいから、マツゲも短いんです
母ちゃんは、目が大きくてマツゲも長かった。
でも、母ちゃんに似たのは、兄。
わたしは、父ちゃんに似た。
わたしが、エクステを始めたのは、人間になりたかったからです。
可愛いとか、綺麗だとか、そういうレベルを求めてるんじゃなくて、人間になりたかったんです。
そこのあんた、今、わらってないかい?
それで、エクステを何年か前に始めて、とても気にいっていたんですけど、エクステをしてくれてた方が、出産と育児休暇で、施術をされなくなったんです。
それで諦めて、家の近くのところでエクステしてもらったんですけど、3日くらい経つと、抜け始めて、何度繰り返しても、そうなるので、もう完全にエクステを諦めたんです。
だから、マツゲ美容液を使うことにして続けていたら、それなりに伸びてきたんです。
そうすると、どうなると思います?人の心理として。
そうです。
「もっと、伸びる美容液は、ないんかい?」 欲が出てくるんですよ、これがまた
そうしたら、使っていた化粧品メーカーさんが、マツゲ美容液を発売することになって、それを購入してつけ始めたんです。
刺激もないし、続けてました。
そうしたらね、赤くもならなかったんですけど、痒いなと目をこすったんです。
こすりながら、
「エクステだと、目が痒くなってもこすれなかったから、やっぱ楽やわ~」 そう思ったんです。
2~3日繰り返していた翌日の朝起きたら、二重になってるところが、腫れてましてん
それを見たわたしは、
「そうかぁ~、とうとうわたしも眼瞼下垂になってしもたんかぁ~。手術せなあかんのかなぁ~」と、もう少し、様子をみることにしました。
2日ほど経って、
「ちゃうやんこれ。眼瞼下垂とちゃうわ。こすったから腫れたんや。っていうことは、あの美容液は、わたしには合わんっていうことやん。」
ということで、化粧品屋さんの美容液を使うのを止めて、軟膏を塗ったら、元の目に戻っていきました。
で、安心したわたしは、最初使っていた美容液を再び使うことにし、「また買わなあかんなぁ」と思いながら、2日間使用したら、また同じように腫れだしてしまいました。
「あぁ、これは、美容液を使うなってことなんやね。」
すっぱりと、やめました。
もうええねん。細いし、本数も少ないマツゲやけど、マスカラで何とかしたるわい
で、今日はなんで、こんな日常をお話ししたかといいますとね、意識の世界でも同じことが起こっていたんです。
ブログを毎日読んでくださっている方はご存知かと思いますが、
わたしは、5日ほど前から、何かを思おうとした時に「幸せ」と言っていたらどうなるだろうかと検証していました。
3日間ほどは良かったんです。
良かったというのは、胸の感覚がワクワクしているし、楽しいし、やってみたいと思っていました。
でも、昨日のお昼ぐらいから、「ん?」 なんかおかしいぞと思いながら、「幸せ」を続けていました。
今日になって、やっぱりおかしいと思いだしました。
胸に感じる満たされた感覚が、急にしぼんだような感覚になり、楽しくないと思うようになりました。
「幸せ」って言っているのに、外に観える世界とが、チグハグな感じです。
「何かが間違ってる。」そう思いました。
それで、さっきお風呂に入っていたら、わかりました。
わたしが、何かを思うとしているのに、「幸せ」という言葉で遮断してしまっていたんです。
人でもそうですけど、わたしが言いたいと思っているのに、「あなたは、黙ってて」なんて言われたら、段々と信頼関係がなくなり、何も言いたくなくなる。
そんな感じになっていました。
無理やり、黙らされている。
わたしが何かを思おうとして「幸せ」という言葉で遮断するということは、
そもそも、わたしの自由を奪うことになっていました。
「幸せ」と想うことで、宇宙が「幸せ」を采配してくれるだろうという、自我欲そのものでした。
わたし達は、喜んだり、怒ったり、期待したり、望んだり、憎んだり、悲しんだりしますが、それは悪いことでも、良いことでも何でもなくて、
そう思っているわたしを、素直に認めること、
この肉体があるからこそ、そう思うような体験をしています。
幸太郎が、自由に動けなくなって仕事ができなくなった時、言ってました。
「僕、どんな仕事でもする!なんでもする!」 と。
この肉体が自由に動かなくなった時、きっと思うんです。
「あんなに仕事に行きたくなかったのに、仕事がしたい。」
「ダイエットなんて、どうでもよかった。美味しい物を美味しいと食べたい。」
「もう一度動けるようになったら、何でもする! もう一度、チャンスを頂戴!」
わたし、本当に嬉しいお話しがあったんです。
ウソのように、願いが叶うお話しがあったんです。
それで有頂天になって、本当の幸せから外れていっていました。
検証って、いつもこうです。
マツゲ美容液のように、試して合わないと、何か反応が現れる。
意識の世界も全く同じなんです。
魂の羅針盤から外れだすと、必ず違和感があり、チグハグした感覚を感じるようになります。
でもね、いつも思います。
わたしが、やんちゃなことをしても、ずっと見守ってくれてるなって。
「はてさて、どこで気づくかな」
って。
結局、今回の検証でわかったことは、
「何を思ってもいい。」ということです。
人間として育ってきたわたし達は、
「本当は、こんなことを思ってはいけないけど」
と、そう思った自分を責めます。
責めることは、否定となり、宇宙の流れから外れてしまうため、苦痛を感じます。
責める必要など一切なく、そんな体験をしたら、そう思って当然なんです。
だけど、心の奥底では、そういう自分を嫌いだと思ったり、何で優しくできないんだろうと責める。
相手を責める = 自分を責める
あなた = わたし
自我の世界を脱出するには、自分自身を赦す方向へ意識を向けていく必要があります。
どんなことを思おうがいい。
ただ、そう思った自分を素直に認める。
「今、◯◯って思ったよね。」 「うん、思った。」
それだけでいいんです。
「幸せになりたいと思ったよね。」
「うん、思った。」