幸せになりたければ、幸せになることをあきらめる。

 

欲しいモノがあるときは、欲しいモノをあきらめる。

 

得たいモノがあるときは、得られないとあきらめる。

 

 

 

この「あきらめる」とは、ふてくされるとか、何もかもほおり出してしまうということではなく、

 

成るように成ると、

 

わたしには、どうすることもできないことだと、あきらめること。

 

 

 

 

 

願えば願うほど、願いは叶わないのに、

 

何も願っていたわけではなかったことが叶ってしまう。

 

 

 

恋人が欲しい、欲しいと思っていたときは、恋人ができなかったのに、

 

「もうどうでもいいや」と、欲しがるのを止めたら、恋人ができた。

 

 

 

 

お金が欲しい、これだけのお金しかない。

 

どんどんケチっていくほど、お金がどんどん無くなっていったのに、

 

絶対に何とかなると、

 

自分が毎日使うモノは、自分の気にいったモノを買って、

 

それを使うたびに、うれしさが湧き出てくる生活をしていたら、

 

いつの間にか、支出が減って、少しづつ、お金が貯まり出して、

 

思わぬところから、お金が舞い込んできた。

 

 

 

 

こうすれば、ああなるのに、

 

ああすると、こうなるのは、どういうことだ?

 

 

 

そんなふうに、この宇宙の法則の遣い方のコツを知りたいと思いました。

 

そして、知って遣ったら、どんな世界が観れるのか、そこに興味を持ち続けました。

 

 

 

 

期待すると、その通りにはならない。

 

期待しないと、期待以上のことが起こる。

 

 

 

でも、期待してしまう。

 

こうなればいいなって思ってしまう。

 

そう思うと、夢が膨らんで、そうなればいいなぁって思ってしまう。

 

 

 

 

 

わたしの観る世界は、わたしが外の現実世界を観た瞬間に、創られていきます。

 

わたしが何かを観て、悔しいと思った瞬間、その悔しいに、色んなわたしの想いがくっつきだして、わたしが創る幻想世界が始まります。

 

そうやって、わたしだけの世界が誕生していきます。

 

わたしが何を思おうと、何を考えようと、現実世界は動いていきます。

 

 

 

ということは・・・

 

わたしが何かを観て、何かを思う手前で、

 

「わたしは、幸せ」

 

そう思ったら、どんな世界が創造されるんだろう。

 

何かを観て、何も思わないようにすることは、人間のわたしには、とても難しい。

 

どうしても、何かを思うのであれば、一番わたしにとって最高の想いを思ったら、どうなるのか。

 

そう思ったので、検証してみることにしました。

 

 

 

 

それを開始したのは、昨夜からです。

 

 

主人は、副鼻腔炎があり、上顎洞に膿が溜まっているのは、奥歯の根っこが原因だとわかって抜歯をしました。

 

抜歯をしたあとしばらくは、後鼻漏もなく咳もでなかったのですが、徐々に咳がでるようになってきて、痰を出そうとするその咳が、こちらの頭にも響くような咳になってくるし、主人もしんどいと言います。

 

「わたしは、いったい何を観てるんだろう。」

 

そう思っていました。

 

 

 

昨日の夕食後、主人がいつもに増して、止まらない咳が始まりました。

 

今までは、「辛いだろうなぁ」とか、「大変だなぁ」とか、「早く治ればいいのに」とか、色々思ったわけです。

 

でも昨夜のわたしは、違いました。

 

主人が咳をしている間ずっと、

 

“わたしは、幸せ。わたしは、幸せ”

 

と、こころの中で言い続けました。

 

要するに、幻想世界を創らなかったのです。

 

 

 

ひどい咳き込みがやっと終わった主人が一言。

 

「痰が出て、すっきりしたわ。」

 

滝汗 え?そうなの?

 

 

 

この体験をして気づきました。

 

その現実を観て、可哀そうだとか、辛いだろうと思っているのはわたしで、可哀そうな世界、辛い世界を創造しているのは、わたしなんだ。

 

 

 

今朝起きてから、主人の咳があまりでなくなっていました。

 

仕事から帰ってきたとき、主人が鼻をかんで、ティッシュを見ていいました。

 

「あれ、血がついていない。めずらしい。」

 

 

夕食後には、「鼻が通ってきた。」 そう言います。

 

 

 

 

今日は、それだけじゃないんです。

 

わたしの3つの気になることが、動き出したんです。

 

 

 

詳細は、まだ言えませんが、ひとつの件に関しては、

 

「そんなことある? そんな方法があるの? そんなことがやりたい人っているの?」

 

って言うぐらい、

 

それって、誰から観ても、「ええやん。」 そんなことが起こり始めました。

 

 

 

 

 

宇宙の采配に委ねると言いながら、わたしの中では、やっぱり期待したり、こうなって欲しいと思う想いがありました。

 

でもそれは、とてもとても狭い世界です。

 

 

 

わたしに、色々な人間関係があって、その人たちにも色々な人間関係があって、

 

その人、一人ひとりが、色んな想いや、色んなやりたいこと、色んな体験をしていて、

 

それらをわたしが全部知るはずもない。

 

だのに、わたしは、わたしの望むように、わたしの思うように現実世界がなってほしいと思っていました。

 

 

 

わたしが、何かを思う前に「わたしは、幸せ」「わたしは、最高に幸せ」

 

そう思ったことで、何が起こるかわからないけれど、

 

きっと、幸せな世界が観えてくるんだろうと、宇宙の采配にお任せしました。

 

 

 

そうしたら、動いたんです。