「かがみ(鏡)」から、「が(我)」を捨てると、「かみ(神)」になる。

 

 

他の方のブログを拝見したら、この言葉が書かれていました。

 

 

 

まさしく、そうだと思いました。

 

 

 

スピリット同志のわたし達が、自分がスピリットであることを忘れ、人間として生きてきました。

 

人間として生きてきたから、気の合う人は好きになり、気の合わない人は嫌いになりました。

 

 

 

それは、子どもであっても、大人になっても、

 

引っ越しをしても、転職をしても、

 

結婚しても、子どもを育てても、

 

家族の中でも、職場の中でも、

 

必ず、気の合う人、気の合わない人が存在していました。

 

人間として生きていると思っていましたから、そこに理由があるなどと思う事はありませんでした。

 

 

 

この世界が、

 

 

 

合わせ鏡のしくみになっていると知って、わたしの観る世界は、どんどん変化していきました。

 

一言で言えば、「楽になった」

 

 

 

お互いが、お互いを鏡として観て、「我」を、見せ合って、

 

「かがみ」から「が」を捨てて、「神」に戻る。

 

 

 

「神」というと、なんか、手の届かない、あまりにも尊い存在で、恐れ多くも・・・となるかもしれませんが、

 

それは、人間が創った言葉ではありますが、色々なところに、この世界の謎を解くヒントが隠されているようになっていると思っています。

 

 

 

 

元々は、スピリットで、何の「我」ももっていなかった。

 

でも、人間として生まれて育ってきたことで、色々な体験をする中で、心地良いことは体験したいけど、不快なことは体験したくないと思います。

 

心地良いとは、幸せになること。

 

 

 

 

一生懸命、勉強してきたのも、

 

一生懸命、いい人になろうとしてきたのも、

 

一生懸命、働いてきたのも、

 

一生懸命、頑張ってきたのも、

 

全ては、「ただ、幸せになりたかった」

 

 

 

 

「我」を捨ててしまえば、

 

わたしは、空っぽだと気づきます。

 

 

 

 

物音ひとつしない部屋に入って、

 

目を閉じて(何も観えない)

 

音も聞こえない

 

手や足や皮膚に感じる全ての感覚を、無にしてみて

 

頭の中に、一切の言葉を無くしてみたら、

 

わたしは、空っぽだとわかります。

 

 

 

 

空っぽになると、

 

今、この瞬間の、やりたいことがわかります。

 

 

今、この瞬間の、やりたいことを、ただひたすらやっていく。

 

 

やりたいこと = 楽しい = 幸せ