一昨日、「毎日更新しているこのブログを止めてみたらどうなるだろう。」

 

そう思って、昨日は、書かずにいました。

 

 

いつも、家事を済ませ、お風呂に入って、

 

 

 

 

髪にドライヤーをかけたり、

 

 

お肌のお手入れを済ませたら、

 

 

パソコンに向かって、ブログを書き始めます。

 

「毎日、書かないといけない。」 と思っているわけではなく、

 

「今日は、どんなタイトルで書けばいいか教えてね。」 と、幸太郎(わたしにとっての宇宙)に頼んでおくと、ブログを書き始めるまでに、フッと閃きます。

 

「了解。今日は、それで書くね。」

 

と、書き始めます。

 

 

 

閃きではなく、思考を遣ったり、テレビや何かの本に書いてあった言葉を遣おうとすると、途端に文章が書けなくなるので、仕切り直しをします。

 

 

2020年5月10日から書き始めて、告知なしに書かなかったのは、父がイレウスで救急搬送され手術になった夜だけだったと思います。

 

 

そんなわたしが、昨日は、ブログを書くのを止めてみようと、ふと思ったのでやってみました。

 

そしたらね、めちゃくちゃ書きたいと思ったんですよ。

 

ブログ書くの、楽しい~音譜 って。

 

 

 

 

この「楽しい~音譜」が、『ただ、幸せになる』を、教えてくれました。

 

 

 

 

わたしが、精神世界に足を踏み入れたのは、幸太郎の死からです。

 

だけどわたしは、それ以前から、わたしを助けてくれている何かがいると、ずっと思っていました。

 

 

 

わたしが、「してはいけない」と思うようなことをしようとすると、必ず胸がざわつきました。

 

「してはいけないこと。」というのは、わたしの意に反することです。

 

例えば、子ども達が幼稚園くらいのときに、ママ友達から、集まらないかと声がかかった時、「断ると何か言われるかなぁ~」と、「行きます」と答えようとすると、胸がざわついて、断ると、そのざわつきが消失してしまう。という体験です。

 

 

 

他には、

 

子ども達が小さくて、働けなかった時期に、「お金がないなぁ~」と思っていたら、義父が、土地を売ったからとお金をくれたり、

 

また、「お金がないなぁ~」と思っていたら、両親が、田んぼを売ったからと、お金をくれる。

 

 

 

「お金がないなぁ~」と思っていると、保険の満期だったり、主人の退職のタイミングだったり・・・。

 

 

2年前は、この家を建てて15年が経って、エコキュートが壊れ始めたり、17年も乗っていた車が、ヤンキーの車みたいに、ボンボンDASH!言い出すし、車庫の電動シャッターが壊れるし、インターホンが、ただの壁にかかった箱みたいになるし・・・

 

というタイミングの前に、15年も、主人が草刈りをするだけだった田んぼが売れて、全ての修理や、買い替えができました。

 

 

他にも、お金だけじゃなく、いっぱいそういう体験があります。

 

だから、思ってたんです。

 

これはいったいどういうことなんだろうって。

 

まるで、わたしを観てる何かがいる。そんな感じでした。

 

 

 

特別お願いしたわけでもない時に、願いが叶う。

 

 

 

『ただ、幸せになる』

 

11年の試行錯誤を経て、ここまで来ました。

 

 

 

お話しは変わりますが、19日の朝に、兄(66歳)が心筋梗塞になりました。

 

大事には至っていませんし、今入院していますが、元気にしています。

 

兄は、今、個人で医院を開業している内科医ですが、大学病院で働いている時は、心臓疾患の専門医でした。

 

 

 

昨日、知人のお話しを聞いていたら、ご主人がお酒を飲む量が増えてきて、止めてくれない。タバコも止めてくれない。ギャンブルも止めてくれないので、どんどんお金が減って困ると、話しをしてくれました。

 

 

そして、能登半島の地震。

 

 

 

 

兄は、心臓のことは熟知していますし、健康診断もしています。狭心症や心筋梗塞というのは、症状が出ない限り、血液検査にも引っかかりません。

 

もちろん、糖尿病であったり、高脂血症や、高血圧などがあれば、リスクは高くなりますが、心臓に栄養を運ぶ、冠状動脈の造影検査をしない限り、事前に把握するのは困難です。

 

 

この出来事で、気づいたことは、

 

「コントロールできない」

 

ということです。

 

 

 

 

 

わたし達は、『現実世界』にいます。

 

でも、この現実世界は、宇宙の中にあります。

 

宇宙というと、天体を思うと思いますが、

 

宇宙は、わたしの中にあります。

 

わたしが観ない限り、わたしが存在しない限り、わたしの世界は存在しないんです。

 

 

 

 

『共存協働していく。』

 

 

 

 

わたし達は、この現実世界で、目の前に現れた現実を体験しながら、色々学んでいきます。

 

学ぶのは、この世界の構造です。

 

 

そこには、必ず法則が存在しています。法則が存在しているから、構造がわかる。

 

それは、絶対であり、誰も変えることも、コントロールすることもできません。

 

 

 

太陽が、東から昇り、西に沈むように、

 

春夏秋冬が、この順番でくるように、

 

絶対的な法則です。

 

 

 

わたし達ができることは、

 

暑い夏になれば、半そでにし、寒い冬になったらコートを着るくらいです。

 

何もできないんです。

 

 

 

でも、この現実世界で、やれることがあります。

 

わたしが、やれること。

 

誰かに、何かをさせることではなく、

 

今の、わたしが、やれること。

 

 

 

目の前の現実に、懸命に向かい合って、

 

「もうこれ以上は、人間のわたしには無理です」ってなったとき、

 

「あとは、宇宙にお任せします!」

 

と、宇宙の采配に委ねます。

 

いわゆる、

 

 

バトンタッチをします。

 

 

 

自我の世界が、10段階になっていると仮定します。

 

1段階は、自我が濃厚な状態。

 

10段階は、自我が薄い状態とします。

 

 

 

 

自我が濃厚であればあるほど、わたしを観ずに、周りばかりを観て、誰かや何かのせいにします。

 

この段階の一つの例としては、自分が生きてきた体験が、とても不幸だと思っていて、不幸になることが怖くて仕方がないので、幸せに成れる保証が、100%ないと動こうとしませんから、観えない世界の宇宙に委ねるなどということは、あり得ないと無意識レベルで思っている状態。

 

または、知識があり過ぎて、その知識を活かして生きてきたことで、上手くいっている場合は、それで上手くいっていますから、観えない世界に委ねる必要は全くないと、思っている状態です。

 

 

自我は、保証を求めるし、良い結果を求めようとします。

 

言い方を変えれば、良い結果になることを100%保証してくれないのなら、今のままでいいですと、何も変えようとしません。

 

 

そんな自我ですが、

 

徐々に、10段階に近づくと、自我の世界にいながらも、不思議な体験をすることに気づき始めます。

 

「みかんが欲しいなぁ」 と思っていたら、みかんが届いたり、

 

「あの人、どうしてるかなぁと思ったら、その人の話しを誰かに聞いたり。

 

シンクロニシティと呼ばれています。

 

 

 

 

 

「宇宙にお願いしても何も起こらない。」のは、

 

 

 

自分が何もしていないからです。

 

 

宇宙には、

 

『放出した意識とエネルギーは、必ず還って来る。』 という法則がありますが、

 

言い方を変えれば、

 

『放出していない意識とエネルギーは、絶対に還って来ない。』ということです。

 

 

 

 

 

 

周りから見れば、とても大変そうで、苦労しているように思えても、

 

やっているわたしが楽しければ、それは、『幸せ』です。

 

 

 

わたしが、年2回、ひろ子さんと旅行に行くのは、『楽しい』からです。

 

何でもない、ありふれた家庭での料理を作るのは、食べてくれる人がいることで、料理を作ることが『楽しい』からです。

 

掃除をするのは、そこが綺麗になるのが『楽しい』からです。

 

仕事を、やり切るのは、やり切れた満足感を味わうのが『楽しい』からです。

 

 

 

 

宇宙の法則は、わたし達が、『幸せ』に成るように創られています。

 

でも、自我にとって、その法則は、真逆になっています。

 

 

 

宇宙の法則は、わたしが、『幸せ』ではない方向へ向かおうとすると、苦しさや辛さで教えてくれて、軌道修正しなさいよと伝えてきます。

 

言い方を変えれば、

 

『楽しい』『嬉しい』『ワクワクする』は、魂の羅針盤という、宇宙の軌道に乗っている状態です。

 

 

 

 

 

このブログを書いているわたしは、ワクワクして楽しくて仕方がない。

 

何故なら、やっと『現実世界』と『意識の世界』の繋がりに気が付けたからです。

 


そして、その気づきを、このブログで伝える事ができる!

 

『ただ、幸せになる』より、『ただ、楽しい』の方が、ワクワクする。